伊藤雄馬

🪷😊🪷

伊藤雄馬

🪷😊🪷

最近の記事

並行書簡-40

 久しぶりに完徹した。賢さんと会う前日だ。江ノ島の賢さんおすすめのレストランで、賢さんにご馳走になる予定だった。自分は賢さんと会う前に、体調を崩そうとする癖があるのだろう。 【引用はじめ】 賢さんの家で食事をする予定のあるときは、なぜか「不調気味」で行くことになる自分がいる。今回のように寝不足だったり、風邪気味だったり。そして、ご飯を食べて元気になるところまでがセットだ。この日も、ご飯、お味噌汁、塩麹の漬物に、おかわりは卵かけご飯をいただき、いつも通り、疲れと眠気が和らい

    • 並行書簡-37

      バイトに落ちた。 それについてはなんの感覚も感情もない。なんだか強がりみたいにみえそうな気もするが、本当にない。 なくて困ってしまうので、とりあえずネタとして扱うことにして、笑うことにしたが、周囲の反応は、そこはかとなく慰めてくれたり、理由を考えてくれたり、採用担当者の見る目のなさに怒ったりしてくれる人がいるなど様々で、人って面白いなぁと感じている。 ものごとは、何もないところからシャボン玉のように透明な球として現れ、形を現し、そこに極彩色が浮かぶ。そしてほどなく消える

      • 並行書簡-35

        【引用はじめ】  ものを減らすと、そこに空間ができる。順序としては、空間があった、もしくは、あるから、そこにものを置けた。しばらく、そこに放置されていた。単なる「放置」ではなく、活用すべくそこに置かれ、次第に、いつのまにやら、「放置」になった。  ふと、気付く瞬間が訪れるーー「捨てよう。」ーーこれは、「ぁ、『放置』してる。」だ。  使われているうちは、循環があるが、「放置」になると、溜まる。滞る、という表現をしてもいいだろう。処分すると、再び、流れ始める。 【引用おわり】

        • 並行書簡-34

          昨日の朝、清掃バイトの面接に行くために、比較的早く、でも社会的には普通か遅めに起きて、身支度をした。歯を磨き、顔を洗う。ヒゲは昨晩のお風呂で剃っておいた。鏡を見ると、そこには見慣れない男の顔があった。 (ふーん、こんな仕上がりか、悪くないかな) もちろん、その顔は伊藤雄馬であり、ぼくはその顔をなかなかに見慣れている。しかし、その顔が見慣れない顔に映る瞬間はぼくの人生には普通に存在する。そのとき、ぼくはよく死ねたのだな、と納得する。 【引用はじめ】  先程、約二十日ぶり

        並行書簡-40

          並行書簡-31

          深夜だけど、いつもより少し早い。なぜなら、明日の朝にバイトの面接があるからだ。 並行書簡の番外編的な位置付けを賢さんによってされた『お裾分け』のなかに、パートナーの「働きたくないぃ」からのテヘペロアイス(さっきまでお金はなくても働きたくなくて泣いてたのに、お金を使ってアイスを買って食べてケロッとしていること)の話があった。 それを読んだ賢さんは、おそらくそんなぼくらを見かねたのだろうか、並行書簡-29で賢さんがパートナーとラーメン屋さんの「あわのうた」に行っているのを知っ

          並行書簡-31

          並行書簡-28

          また深夜になってしまったが、この時間に執筆するのは嫌いではない。賢さんの並行書簡-27を読み返す。ナンバリングを確認するためと、なんとなく読み返したかったからだ。すると、予想していたように、少しトリッキーなのを確認した。 昨晩、自分の書いた回(26回)とは別に『お裾分け』を今朝、書いた。賢さんは、これも「並行書簡だ」と感じ、これに並行して、27回を書いた。実は、『お裾分け』はnoteからはもう消してしまった。少し物言いがあったからだ。 プライベートのことなので詳しくは書か

          並行書簡-28

          並行書簡-26

          昨日の投稿を賢さんがとても喜んでくれていたので、書いてよかったなぁと思った。だいぶん前に書いたままになっていて、中々出せないでいたけど、出せてよかった。そんな書きかけの原稿が山ほどあるのだけれど、旬を過ぎると難しくなる。「昨日のアイデアは今日のゴミ」みたいな話を賢さんは前書いていたけど、ちょっと昨晩は違って、「ゴミもタデも好き好きだぜ」などと勢いで続きから書き、なんとか書き切った。偉いのである。 今日はもうだいぶん眠いのだが、賢さんのことを想って続きを書くことにした。偉い。

          並行書簡-26

          並行書簡-24

          原稿を先月末に書き終えてから、久々に賢さんの家に行って、ご飯をご馳走になった。賢さんの家に行く前日のトークイベントで、打ち上げのあと、ひっそりと終電を逃し、ぼんやりと力みなく完徹して行ったら、 「なに疲れてんだよ!」 みたいなことを玄関で賢さんに言われた(もう少しやわらかい言い方だった気もする)。 賢さんの家で食事をする予定のあるときは、なぜか「不調気味」で行くことになる自分がいる。今回のように寝不足だったり、風邪気味だったり。そして、ご飯を食べて元気になるところまでが

          並行書簡-24

          並行書簡-04

          10年来愛用している無印のリングノートがあります。無印のペンがリングにちょうど入って無くさないし、A5サイズで持ち運びやすい大きさだし、ハードカバーでフィールド調査中も書きやすいし、ちょっとした書類を挟んでおけるポケットもある。最高です。 そのノートの最初のページ、いや正確に言うと裏表紙っていうんでしょうか、罫線のない少し厚めになっているページがあって、そこに必ず書くことがあります。なんて書いてあるかは、、、、、、ここでは言いません。なんとなく。ですが、そこにはいつも、同じ

          並行書簡-04

          並行書簡-03

          体操はもういいか、となった。 賢さんは日記風小説の中で、とまで書いたところで、ちょうど話しかけられて、何を引用しようとしたか忘れた。そしてもう、それはここではない。 万事がそんな風なので、体操というものをやろうにも、「よっこいしょ」がいる。「よっこいしょ」は例えば、座っているときに立ち上がったりするときに発する。座っている自分と立っている自分。これだってぜーんぜん違う自分なのだ。同じ「自分」という語を使って言い表せるのが、不思議なくらい違う。カニとエビくらい違う。カニとエ

          並行書簡-03

          並行書簡-02

          「賢さんの小説読んで書いた」という体の何かです。 並行書簡の初回はこちら。 コノハナノサクヤヒメという女神から聞いた、エナジーと女性性の話をします。 エナジーはエネルギーのことです。最近はエナジーと言う方がぼくはしっくりくるので、エナジーと呼びます。シナジーっぽくてよい。 女性性はこれからの時代のキーワードだと思いますが、いろんな意味があり、いろんな意味があるということは、ほとんど意味がないということです。「やばい」とだけ言っても、文脈がなければ、ポジネガかも分からな

          並行書簡-02

          並行書簡-01

          賢さんの小説風日記(伊藤雄馬編-16)を読んでのぼくこと伊藤雄馬の感想だったり、または感想でなかったりするものを書きます。これを「並行書簡」と名付けました。往復書簡のもじりです。 一緒に何かしようか、そんな話が出た数ヶ月前、往復書簡のようなものをしてもいいかもね、と話したものでしたが、それも遠い過去のような、別世界のことのように感じます。「往復書簡をしたいね」と口にしている自分にまったくシンパシーが沸かないからです。全然、ない。 往復書簡は相手の書いたことに対して、何かし

          並行書簡-01