東雲絵名を考察。絵名にとって描くとは
0.はじめに
こちらの記事にて各メンバーを軽く紹介・考察しているので、是非ご覧ください。
1.イラストと私
そもそも、えななんにとって絵を描くという行為は承認欲求という形で説明されています。
また、父という存在は大きく画家として成功している言葉ほど痛いものはありません。ただ、えななんは自身の理想と現実のギャップを突き付けられます。
このことから、えななんは次第に自身の絵の評価はニーゴのフィルターを通して見られているという答えに辿り着きます。しかし、絵のアカウントのフォロワーを増やすという目的なら『ニーゴのイラスト担当しています!』とでも書けば自然と増えていくだろう。
ただ、えななんははそうはしませんでした。
確かにえななんの絵は奏に評価されてニーゴのイラスト担当として活動している。しかし、それはニーゴの世界観を色付ける為の要素でしかないと私はえななんにそう感じたわけです。だからこそ、絵のアカウントでは「純粋に、絵だけを評価してもらいたい」のです。つまりは承認欲求。
ただ、えななんが絵を描き続ける理由は明確には提示されていません。というよりかは絵にこだわる理由。勿論、承認欲求という理由を理解はできても本質を突いていない気がするわけです。まだ、えななんにはニーゴのみんなには伝えていない過去があるのではないかと。
もし、重要な過去があるとすれば私の作品で誰かを救いたいという考えには至らなかったという点があります。どちらかというとえななんの過去で固い意志が出来上がるとすれば父を超える画家になるほうが割とすんなりと理解できます。
えななんはコンクールに応募することになるのだが、父からの助言が出る。
「コンクールは毎年プロレベルの応募者が集まっている。お前とはレベルが違う」とえななんに対してお前はプロレベルに到達できていないと言われているようなものだ。勿論、えななんも反論するのだが
「賞をとるのは難しいと言っているだけだ。それでもいいなら応募すればいい」と返したのだ。正直、前半のセリフは全く必要のない部分であることがわかる。コンクールに応募すること自体は自由にも関わらず、父は敢えてえななんに対して応募をしないように助言をしたのだ。えななんからすればその助言は雑音で、後半の「賞をとるのは難しい」という言葉だけで良かった。勿論、応援の言葉もない。何故ここまで父はえななんに対して冷たいのだろうか。
2.父の才能
それは父の過去にあると推察する。
父の助言は時に残酷ではある。しかし、この説得力に納得できてしまうのだ。それは父が現役の画家であるからだ。つまり、父も今の画家としての社会的立ち位置に到達するまでのストーリーがあったはずだ。そのストーリーがエスカレーターのようにスムーズであれば上画像のような発言は出てこないだろう。ということは、父の画家へのストーリーは決して楽ではなく過酷であったことが見えてくる。
そもそも父が「才能がない者が、才能ある者と同じステージで渡りあっていく」ことに対して「つらい」という感情を持ち合わせている。つまりは父は元から才能があったわけではなく、才能がなかったのだ。では、父はどのように今の才能ある者になれたのか。それは、才能を認めてくれた人がいるからである。しかし、父にとって才能を認めてくれた人がいることは楽ではなく過酷の分類に入っている。どれだけ才能があっても認めてくれる人がいないとそれは才能がないのと同義だからだ。
「お前が思っている以上に、つらい」
そう言われたえななんは一番理解しているのだ。
自分の描いた絵を見てもらえないことのつらさを声を荒げて理解している。でも、ただひとつ理解できていないと思われる部分がある。それは
才能を持っていない
でも、その才能を評価するのは誰だろうか。自分じゃない他人だ。しかし、今回えななんの絵に対して評価を行ったのはコンクールの審査員なのだ。その審査員の評価をえななんはどう受け止めてしまったのだろうか。
3.同じ道
そう答えを導き出したのだ。えななんは審査員の判断を、父の言葉を正しいと辿り着いたのだ。
特に才能があるまふゆには強く当たってしまう。特に苦悩もなく、スラスラと書ける歌詞が評価されていることに、期待されていることに。
ただ、評価という点に置いてはニーゴ内では評価されている。でも、えななんにとってニーゴフィルターが入るとそれは、私自身を見られていない気分になってしまう。段々と崩れ落ちていくえななん。
絵の具やペンタブを散らかし、それはまるで才能に苦悩する芸術家のような一室に変貌を遂げる。弟である彰人はえななんの部屋に指摘するが
「どうせあとで捨てるんだから」
と、自身を捨てることになります。
彰人は父が原因だと少なからず感じているわけです。その考えが出てくるのは父に問題があることへの示唆なのか、父がえななんに対して恒常的に扱うのか。
やはり、父は元から才能があるわけではない。それまでの父のストーリーが過酷なゆえ、えななんにアドバイスを与えているのだろうとそう感じることができます。
ただ、どうしても父は伝えることが不器用なようです。それは父の絵名に対する固定概念があるのだが、それよりも過酷なことを注視している。父として、娘にそうなってほしくないと。
しかし、弟の彰人は父を理解しながらも姉に寄り添います。彰人が才能を得るための努力を惜しみなく時間に費やしてきたのだ。小学生時代のサッカーを、苦悩を乗り越えた彰人だからこそ父に言えるのだ。
画家としてじゃなく父親として絵を見てやれよ と
4.正と負
そして、唯一認めてもらえる『ニーゴ』の場所に行く。東雲絵名の意見を伝える、ニーゴみんなの意見を聞く。一番核心を突くえななんの言葉だ。
えななんは今の自分が大嫌いと言っています。第三者に認めてもらわないと描き続けられない状況を。そんな大嫌いな今を肯定するのがニーゴです。
奏はえななんの考えを真っ向から否定する言葉を投げかけたのです。奏にとって、えななんはニーゴの世界観を分かりやすく説明してくれる重要な人物であるからだ。難しい言葉の数々、不安になるような音。そこに調和するのは間違いなく視覚からの情報だ。耳から入る情報が負であれば目から入る情報に正であれば良い。それには瑞希もそうだが、東雲絵名という人物が必要不可欠であることが理解できる。
奏にとって、ニーゴの世界観を正として描くえななんであれば、誰に認められなくても良いのだ。何故ならニーゴの世界観を負として背負う奏自身が他人への評価という足枷を繋ぎ留めれば良いだけなのだから。
それでも認められたいというなら…まふゆはこう投げかけたのだ。でも本質だ。いつまでかかるかわからない。ニーゴは、どうせ作り続けなきゃいけないのだから。
5.絵を描き続ける
父の影響で昔から絵ばっかり描いていたえななん。だからこそ、身近に先生はいるし困ったら相談できる環境、他から見れば好都合としか言えない。
勿論、目指すのであれば父以上の画家になる。という目標設定はごく自然な流れである。そしてえななんは選択に追われることになる。基礎を重視する高校かプロの画家から直接学べる高校か。父に相談するもそれは呆気なく空気が豹変する。
これも父なりのアドバイスなのである。
でも、成長したえななんは父の不器用なアドバイスに屈しない。審査員よりも、ニーゴの曲を聞いている人よりも、ニーゴのみんなに必要とされているからだ。だから諦めない。奏が絵名のための曲を描くのは東雲絵名ただ一人だ。他の誰でもない。東雲絵名を認めてくれた奏が、ニーゴメンバーがいるから『私が絵を描く意味』になるのだ。
そんな不器用な父はノックもせずにえななんの部屋を入るやいなやえななんが描いた絵を評価する。
でも、それはえななんにとって初めての正のアドバイスだったのだ
6.『限りなく灰色へ』
そんな満たされないペイルカラーのテーマソングを振り返っておこう。
すりぃ氏による『限りなく灰色へ』
えななんの才能は自分自身も理解しているのだ。羨ましいと思い、光を求めている。
求めるものを描いたとしても他人の評価がなければ、それは求められていないのと同義だし、自分の描きたい絵とは違う求められた絵だけを描くのも、どちらも本当は叫びたいのだ。
『認めてくれないの?』
本質(=アイロニー)を見失い、でも諦めないでとえななんに伝え、何にも抗っているこの状況に奪って私の前から去ってほしいと願う。私の才能は借り物、目に映った景色の青さは灰色に燻んでしまう。形が消える前に。
でも、完成した形は…
現実は残酷だと気づき、現状に焦りと不安の両方に駆られる。崩れたセンスと曖昧表現では、成功している画家に飲み込まれてしまう。
身体を冷やすことで、冷静にする?違う、自分を消したいから。このまま消えて流れていきたい。でも、神様はそうはさせない。えななんに光を照らしこう伝えるのだ。
『やれることやっていけ』
周りの状況、人、関係ない。自分のやるべきことをやるだけ。私の出来ることをやる。悪魔に越される前に。
本質(=アイロニー)を見失い、でも諦めないでとえななんに伝え、何にも抗っているこの状況に奪って私の前から去ってほしいと願う。私の才能は借り物、目に映った景色の青さは灰色に燻んでしまう。形が消える前に。
でも、完成した形は…
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