宵崎奏を考察。奏にとって作曲とは
0.はじめに
こちらの記事にて各メンバーを軽く紹介・考察しているので、是非ご覧ください。
1.奏は強くはない
今の奏の動力の1つとして『朝比奈まふゆを救う』という目的がある。勿論、ニーゴとして活動していく中で誰かを救う曲を作り続ける目的もある。ただ、父以外にも近くに救える存在はまふゆなのだ。
まふゆが「父の呪い」と言ったように、奏は音楽を作り続けることにしたわけだが、そもそもニーゴミクの助言がなかったらまふゆよりも先に離脱するところだったのだ。それぐらいメインストーリーの中盤で奏はかなり思い詰めていたということがわかる。特段、奏が精神的にも強いとは思わない。もし今後まふゆと同等、あるいはそれ以上に大切な人が奏が救えないと判断した場合は一気に崩れ落ちるのは容易に想像できる。
2.一歩ずつ掬う
実は奏バナーは少なく『カーネーションリコレクション』と『いつか、絶望の底から』の2つしかない。しかし、ニーゴのメンバーは奏の曲に救われてここにいるのでつまづいた時奏がそっと寄り添う曲を出してくれる。解決にはなってないけどその時の気持ちの安らぎにはなっている。ので奏バナーでなくとも奏が絡んでくることは意外にも多い。
3.一歩ずつ掬われる
勿論、奏も助けられる場面はある。特に瑞希の存在は大きい。
宵崎奏にとって昔の思い出は『戻ることのない日常』だから思い出に蓋をしていた。しかし、そんな昔の思い出は思いがけない形で誰かを救える材料になったりもする。ただ、他のメンバーは救われても奏には母がいないという不安要素がある為、解決の難しさが物語っている。
4.奏の制限
奏は今は自由の身で制限なく行動できているが、奏に立ちはだかる壁は自分自身にも表れる。例えば、父の想いを継承して「どんな人でも救える曲を」作り続ける奏は父には出来なかった。
それは、父が倒れたということもあるが大前提として父には『お金を稼ぐ必要』があった。
このセリフは「僕が望む、誰かを幸せにする音楽なのだろうか?」に続くのだが、それとは別に父の想いが見える。父としては『生活のための曲作り』もしなくてはならない。しかし、奏はその制限がなく自由に曲作りができる。だからこそ、父からのアドバイスとして「奏はこれからも、奏の音楽を作り続けるんだよ」という「誰かを幸せにする音楽」もそうだけど『誰にも縛られない自由な音楽を作り続けるんだよ』という風にも聞こえるのだ。
それは突如として父からの挑戦状の如く現れる。父が倒れることで『縛り(=制限)』が設けられたのだ。
母を既に失い、父は形だけが存在している。奏にとって『家族』の存在は大きかった。幸せ”すぎた”のだ。
もう失いたくない気持ちが心の奥底にあって父の言葉が呪いのように奏を縛っている。父の想いとは違う方向に進んでいると…そう感じるのだ。
5.『カナデトモスソラ』
ここまで、カーネーション・リコレクションまでのストーリーを巡ったので、カーネーション・リコレクションのテーマソングといえば良いのだろうか、振り返ろうと思う。ササノマリイ氏による『カナデトモスソラ』
奏の心情を分かりやすく説明してくれています。思い出に蓋をして、救える曲を作り続けると言い聞かせる。
しかし、カーネーション・リコレクションで奏を掬うのは瑞希でした。
知らないモノに触れるというのは挑戦であり恐怖でもある。知らないスポーツをやってみる、上手くできるかどうかわからないけど。でも。知らない人に話しかける、仲良くなりたいけど仲良くなれるかわからないけど。でも。奏はインプットする(=世界を取り込む)場面が少ない。だからこそ、瑞希のように『知らない世界』に連れてくれる人が必要なのだ。そうすることで、奏のイメージが曲になりアウトプット(=世界に発信)することができる。
奏にとって変わらない景色とはなんでしょう。家族みんなで仲良く過ごしている時でしょうか。ニーゴのみんなと曲を作れることでしょうか。奏にとって家族は幸せすぎました。『代わり』はあっても『変わり』はない。意味がないたった一つだけの願いがあるとするなら
幼少期のような、家族団らんをしたい
まだ解放することのない蓋。奏の精神も身体もボロボロになってしまうのは時間の問題。
奏は自分が幸せになる世界を見たい。父の言葉が奏を制限をしていて苦しくなっても、一筋の光を探している。
どれだけ形が不格好でも、奏なら音にする。私なら音にさせてみせる。確固たる意志が伝わります。
ゼロから曲を作る奏だからこそ。
6.幸
奏はどんな曲を作りたいのだろうか。いや、勿論救いの曲を作るというのは理解した。しかし『救いの曲』を作ることは私にとっては『義務』に近い。
幸せ
幸せとはなんだろうか。父の曲を聞いている時の母はすごく幸せそうだったという。心がポカポカすると。奏の目指す幸せはそんな自分が味わった感覚を他人にも知ってもらいたい。感じてもらいたい。それが始まりだと思うわけだが…今の奏の状態を見る限りとてもじゃないが作曲が『義務』に見えるのだ。まるで父の『養う』のように。
小学生の頃の奏と中学生の頃の奏とは明らかに作曲に対する向き合い方が変化している。それは父の状態であることは明白。
小学生奏は「聴いた人を幸せにできる曲」を作っていた。それが中学生奏は「どんな人でも救える曲を」目的が変化している。でも、私は奏が本当に作るべき曲は後者ではなく前者にあると思っている。幸せと救い。似ているようで全く違う。
幸せは受け取り側の感情メーターが上がることだ。幸せは受動的である。自分ではない他の作用によって現れるモノだ。対して、救いは能動的。そして能動的な救いは『良くない』のだ。何故か?それは『他人への依存』が関係する。
他人がいないと成立しないモノは他人が居なくなった時、無力になる。つまり奏にとって「どんな人でも救える曲を」という目的は『奏の見えうる範囲で皆を救えてしまえたら役目が終わる』のだ。しかし「聴いた人を幸せにできる曲」であれば、自分の知らない場所で『勝手に幸せになってくれる』
勿論、それを知る術がないのだからそれはそれで辛いとなるかもしれない。
でも、他人への依存を考慮した際に奏がどんな曲を作るべきかは小学生時代の奏のような思考が必要だ。
7.『トリコロージュ』
『いつか、絶望の底から』にも触れたので、テーマソングである『トリコロージュ』にも触れていきたい。煮ル果実氏による『トリコロージュ』
家族団らんが奏にとっての生活(=生命活動)の虜であれば嬉しいですね。
おさがりの宝石。光は失っている。でもそれを奏は永久に纏う。
つまりは『父(=おさがり)の曲作り(=宝石)センス(=輝き)』を奏が継承する。
やはり『救いが義務』になってるのかもしれません。奏にとって救われた日というのはいつでしょうか。もし既に来ているのであれば、おそらく『父が生存確認できた日』でしょう。父から貰った失った宝石の輝きを取り戻すには奏しかいませんから。
トレパネーション、聞き覚えのない用語ですが簡単に言うと『頭蓋骨に穴を開ける療法』なので、奏にとって頭に穴が開くような出来事で作り話だと思いたい。そんな気持ちが伺えます。
足枷~ からは『カナデトモスソラ』でも私の言葉でもやはり父の言葉に苦しめられてると推察できます。
ここら辺はまふゆが非常に当てはまるのですが、奏目線で語るとすればやはり、食事は奏にとって優先度は低いですからね。食べる行為が苦手というのも理解できます。
奏にとってインプットは少ないです。だからこそ、知らない世界を見た時の衝撃は自分じゃないみたいに惹き込まれるでしょう。シークレット・ディスタンスみたいなインプットが重要。
どんな言葉もどんな傷も奏にとってはただの試練。救われる曲を作り続ける壁は”他愛もないこと”なのでしょう。
宝石にも言葉があります。
『ピンクオパール』は愛と神秘の宝石で別名『キューピットストーン』とも呼ばれています。また、ピンクオパールにはやり直しのパワーがあります。それが少し欠けているのであれば、愛が欠けている・神秘が欠けている・やり直しが欠けているのでしょう。一番この言葉に当てはまるのは宵崎奏、ただ一人でしょう。
『アイオライト』は多色性の石で見る角度や光によって色が変化して見える現象のこと。また、第三の目(=本質を見抜く)を活性化させる石でもある。誠実・貞操・徳望の象徴。それが迷子になっているのであれば、やはりこの石は朝比奈まふゆ他ならないでしょう。
『トパーズ』は何と色がいっぱいあるんですね!!自然界のトパーズは通常無色らしいです。そんなトパーズは友情・希望・誠実・潔白が主な言葉です。また、色によっては知性・能力の向上・恋愛を成就など異なる力が宿っているとのこと。それが埃を被っているのであれば東雲絵名でしょう。是非その無色のキャンバスを自分色に染めてください、えななん。
『アメトリン』はアメジストとシトリンの2つが生成されるので2つの顔を持つと言われています。調和・安定・光と影という言葉やアメジストの謙虚・心の平安、愛の守護、癒し、気品の象徴、シトリンの繁栄、成功、富、幸福、希望、目標達成、更には『まるで太陽のように明るく光を放つシトリンには、人間関係をサポートするパワーがあると考えられている』とのことです。それが孤独なのですから…もうここまで言わなくてもわかりますね。暁山瑞希です。
希望有りきの絶望に依存しているのも中学生奏以降の思考による曲作りへの考え方ですよね。
それを仕様がない(=しょうがない)と言い放つ奏。思考を少しでも変化すれば、奏自身も変化するのですが…
当たり障りない、大衆的。必要ないと言ってます。まるで『私たちは多数派じゃなくていい、少数派でいい』とも捉えることができます。
ここにきて父に向けた言葉です。こんなことを言える日が来るのでしょうか?来るならとても辛いですが、奏は確実に一歩前に進めています。
こんなにも奏は未熟で未完成で正解を必ず辿っているわけではないにも関わらず、我々に最後こう言い放つのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?