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【映画感想文】警察官シュワちゃんが幼稚園の先生になりすます

キンダーガーテンという言葉を最近というか、ここ5年ほどよく耳にするようになった。
英語教育の開始が若年化し、小学生ですでに将来の夢を英語で作文する時代だ。
家で英語の質問を受けた時、親はどう答えているのだろう。

「将来幼稚園の先生になりたいって書きたい」

「先生?ティーチャーじゃない?」

「それは知ってるよ!幼稚園の先生ってどう書くの?」

「ーグーグル先生に教えてもらって!」

こんな会話が容易に想像できる。幼稚園の先生を英語で言える大人が日本にどれだけいるのだろう。それほど英語が堪能であれば、日本でなく海外で働いた方がよさそうだ。なんといっても、日本は日常で英語を耳にする機会が少ない。

子どもの語学力が二極化しているらしい。さもありなんという気がする。大人になれば映画を字幕で見るくらいしか聞かない英語を毎日強制的に聞かされているのだ。私は特別英語が嫌いだったわけではないけれど、化学に置き換えてみればその苦痛は想像に難くない。

毎日毎日化学実験!一体実生活でいつ使うの!
私、将来化学者になるって決めてないなんだけど!

いつものごとく、前置きが長くなってしまった。
キンダーガーテンでなく、キンダーガートンが正しい発音だったようだ。
ロボコップでお馴染み(30代の私には)の俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーさんが、ロボを捨てて普通の警察官をしているのが新鮮だ・・・と思いきや、ほとんど幼稚園の先生をしている。

後に州知事になられた印象のある人は幼稚園の先生は、”らしい”と思われるかもしれない。しかし、寡黙で感情のない刑事の印象のある私からすると、(こんな映画にも出演されていたのね・・・)と新鮮だった。

それにしても、ほのぼのした映画を想像して見たら、最初から銃を乱射している。子供がたくさん出てくる猟奇事件なのだろうか・・・と不安になる出だしだ。
すぐにコメディー映画かなと思われる会話のやり取りが登場するが、予期せず幼稚園の先生をやることになると、鬼の形相で怒鳴りつけてしまう。
困った時に助けに求めた隣の先生は、ミニスカートで教壇の上に座って足を組んでいて、なんだか時代を感じるなと思ったが、多分当時のアメリカでも怒鳴りつける先生と教壇でくねくねしている先生はありえないだろう。

私が、ちょうど保育園に通っていた1991年。
ミニスカートが多分流行っていた。でも、先生たちが履いていたイメージはない。スカートがいけないとは思わないが、小学校じゃないんだから、幼稚園ではやはり動きにくいだろうと思う。小学校の先生は体育の授業の際にはジャージに着替えていた。

映画というのは、その時代の背景がわかるものがいい。日本は古めかしい映画が流行っていて、令和の時代に当たり前のように糸巻きが出てきたりするが、実生活で目にすることなどほとんどない。干物は天日干ししか出てこないが、今はオーブンでもできる。大抵の若い女性がパンを家で焼くけれど、世の中では買って食べる方が多いと思う。

1990年代前半のアメリカは、くるくるまいて広がった髪が女性に流行っていたようだ。下ネタも多く、子どもたちに下ネタや乱暴な言葉を映画で言わせることができた。
小学校と幼稚園が一体になっていても、避難訓練の時には学年ごとで先生の誘導に従っていたようだ。日本だと年長さんが年少さんの手をつなぐのが主流ではなかったろうか。非常時に必ず先生がそばにいるとは限らない。

田舎街なのにずいぶんと街並みが整然としている。30年前のアメリカは広い国土の隅々まで開発の手が届いていたようだ。

離婚が多く、子どものたちは就学前から親たちによって振り回されていた・・・というのが社会の評価だったのかもしれない。「高圧的な先生や独善的な親の犠牲になってはいけない。子供は自由にのびのび育てなきゃ」と思われている時代だったろうか。日本でもそういうこところがあったから、クレヨンしんちゃんがあんなに大流行りしたのではないだろうか。

一方で幼稚園の先生になった主人公は、子どもたちが自分の言うことに従うようになることに感動している。統率された行動がとれて、元気に運動することを強制する。大人が考える『のびのび育つ子』に当てはめて自己満足を得ているようにも思える。しかし、それで子供たちが楽しければよいのだろう。子供たちはしっかり運動して、牛乳を喜んで飲む。
絵本を子どもたちに読んであげるいい先生だけれど、離婚の傷を持っている。
いい父親でない自分に直面する。

わかりやすいストーリーだが、この話はどうしても事件と絡めなければならなかったのだろうかとおも思える。同時進行する恋愛と薬物事件の伏線。一つ一つはわかりやすくてももりだくさんだ。

人生は確かに一つが終わってから一つが進むというふうには出来ていない。離婚した時に仕事で難局にぶつかり、すぐに新しい出会いがあり、体調不良に見舞われたりするかもしれない。

幼稚園の先生として直面する生徒の家庭の問題。常に事件を追いかける刑事として抱えるトラウマ。
コメディーや恋愛ものっぽくする必要があったのかなと思ったが、テーマを持たせすぎるとドキュメンタリーのように重たくなるので、全体を軽くするためにバランスがとられているのかもしれない。

それにしても、「キンダーガートン・コップ」という日本語タイトルにする必要があったのか。「幼稚園の先生になった警察官」ではダメだったのか。当時、キンダーガートンと聞いて、「ああ、幼稚園ね!」とすぐわかった人は日本にどれくらいいたのだろう。
また、アメリカでは生活安全課の刑事と幼稚園の先生はそんなに矛盾した職業なんだろうかということも気になる。
日本で元警察官の保育園の先生がいたとしても、意外ではあるが、同じ公務員としてうまくこなされるんじゃなかろうかと思ってしまう。

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