本当に怖くない猫の話 part.6 前編
無職になると何もかもが嫌になる瞬間が必ずくる。何でも屋は今がそういうタイミングだった。「何でも屋」なんて名乗ったところで、家賃のいらない祖父母の家でその日暮らしをしていれば、定職につかないフリーター扱いされても仕方がない。いい年をして・・・と親が言ってきたわけでもなかったが、ささいなことで言い争いをしてしまい、親が差し入れに持ってきた大量のパックのおかずを食卓の上で見た時に何でも屋は何とも気まずい思いがした。
メンタルがやられていたから正常な判断ができなくなっていたというわけで、何でも屋は今、依頼人と猫のたくさんいる『猫旅館』に来ていた。
古びた古民家を改装したのか、通りに面した透明な窓から流木で作ったようなキャットタワーで戯れる猫たちが楽しめる、ノスタルジーと目新しさが両方楽しめる旅館だ。
依頼人が予約していた離れの部屋は二人と1匹にはもったいないほどひろびろとしており、寝室も二つあった。洋室が2間ある気遣いもうれしい。これが和モダンというやつなのかと生まれて初めての豪華旅館に何でも屋は感慨に耽った。
「では、トイレと猫砂と猫ちゃんのおやつとごはんはここに置いておきますから、ご自由にお使いください。もし猫ちゃんを部屋からお出しになるときはキャリーに入れられるか、ハーネスをつけて抱っこしてお連れになってください。万が一、うちの猫と喧嘩してしまうといけませんから」
「わかりました。ありがとうございます」
依頼人の女性が丁寧に礼を述べると、中居さんは、食事の時間などはすべて机の上のタッチパネル式のタブレットで説明が読めると言い添えて部屋を出ていった。人間の風呂や食事の説明はタブレットで済ませ、猫については詳しく説明してくれるあたりさすがペット旅館である。
二人ともとりあえず、夕食の前に部屋に荷物を置きに行くと、それぞれ風呂に入りに行くことにした。部屋付きの風呂があるが、多分、この1泊の間に使うことはない。なんなら、猫でも洗おうか?などと風呂に入りながら何でも屋は思う。
「一緒にペット旅館に行きませんか?そこに保護猫がいるみたいなんです」
依頼人にそんな風に誘われた時は驚いたが、聞いてみれば彼女は遠距離の運転に自信がないので足が欲しいのだという。部屋の中に鍵のかかる部屋もある・・・ということなので、何でも屋は引き受けることにした。ただ飯でただで旅行できるのだ。誰かに見られたら、「何もなかったなんて信じられない!付き合っているんでしょー」と言われる状況かもしれないが、お互いろくに仕事もしてないきままな未婚の独身同志で、見とがめられる人もいなければ、別に言い訳する必要もない気ままな身分である。深く考える必要もないかと思ったのだ。
猫の見合いを頼まれて以来、何でも屋と依頼人はらいんで頻繁に連絡を取り合うメル友に近い間柄になっていた。
「気に入った猫がいたら、猫を飼ってみたらどうですか?私が身元保証しますよ!何かあったら、お互いが猫を預かればいいんですから」
少し酒の入った赤ら顔で依頼人にそう言われると、何でも屋も夕食をとりながらその気になってきた。食べている間、膝の上で丸くなっている三毛猫も以前は模様も鼻の低さも好みではないように思えたが、素直で甘えたな性格は可愛らしくて、懐かれるとまんざらでもなかった。
明日は旅館に併設された猫カフェで保護猫について話を聞いて、時間があったら近くの観光スポットでドライブで青葉を見て帰る予定である。このご時世観光地をうろつくわけにもいかないので、夕食後にフロントで土産と缶ビールを物色して、何でも屋は部屋に戻って眠りについた。布団が妙に温かく安眠できたのだ。
その分、翌朝の目覚めは早かった。カーテンの隙間から朝日が差し込まない時点で薄めでもまだ外が真っ黒であることがわかった。何でも屋が瞼をこすりながらスマホの電源を入れると、まだ午前3時50分だった。ずいぶん早く目覚めたものだと思うと同時にスマホのある方と反対側に寝がえりを打った。
みぎゃ。
手の甲が毛皮を叩いた感触と鳴き声に驚いて何でも屋は飛び起きた。部屋の鍵は閉めたのだが、入るときにに足元を侵入して依頼人の三毛猫が部屋に杯込みでもしたのだろうか。そんな風に思いながら、眠気で重たい頭を振って部屋の明かりをつけた。
黒かった。
視界が黒い。見下ろした布団の枕元にいたのは、三毛猫ではなく赤い首輪をつけた黒猫だ。
ーどこからきた?
猫は、甘えるように這いつくばって移動して足にすりすりしてくるまだ小さい黒猫を見て途方に暮れた。
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