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本当に怖くない猫の話 part.7

何でも屋は憤っていた。

今朝、久々に母に電話をした。近況報告でもと思っていたら、いつの間にか愚痴になった。

『気のせいよ』

は?

何でも屋の愚痴を母は切って捨てた。

『猫も飼って悠々自適の暮らしなんでしょ。疲れているなんて気のせいよ。じゃ、このご時世だから絶対帰って来ないでね』

母はすげなく言って電話を切った。

何でも屋は膝の上の子猫を撫でながら天井を仰いだ。身体がだるい。熱はないのだから、母の言う通り気のせいかもしれない。気圧の変化で頭痛がするのだろう。日雇いの駅前のチラシ配りの仕事など入れなければよかった。何でも屋の仕事は気が乗らない日は受けなければ良いが、事前に入れていた日雇いの仕事は当日キャンセルは面倒くさい。

飼い始めたばかりの子猫にとっては初めての留守番である。

(クロいのが寝ている間に帰って来られるだろうか)

心許ないが出かけないわけにはいかない。何でも屋は仕方なく膝の上の猫を下ろすと出かける準備を始めた。

「いやあ。ひどい雨だった。冗談じゃないよ」

滴を払いながら何でも屋は玄関先でぶつくさ文句を言っていた。黒いちび猫が来てから、何でも屋は無意識のうちに独り言が増えた。

雨もあるがチラシ配りの学生につい宣伝のつもりで何でも屋のことを話したことが尾をひいていた。

『買い物代行?それならUberEatesの配達の方が儲からなくないすか?』

日本語の怪しい学生風情に意見されたのが気に入らないが、考えてみればそうだった。だが、買い物代行のメリットもある。時間に追い立てられずに自分のペースで仕事ができるのだ。同じ出前や荷物運びなら、直接客の顔が見える方が安心だと思う自分の頭は前時代に染まってしまっているのだろうか。

にゃあ。

「はいはい。ちょっと、待ってくださいよ」

何でも屋は濡れた服を着替え終えると、玄関先に置きざりにしていたキャリーから依頼人の猫を取り出して抱え上げた。

そのとき。

にゃ。

ガーン。

という擬音が聞こえた気がしたのは、飼い主の欲目だろうか。黒い子猫は固まって何でも屋を見ていた。そっと三毛猫を下ろすと黒猫は緊張したままだったものの、威嚇したり怯えて隠れたりはしなかった。しかし、三毛猫も黒子猫もお互いには近づかず、ふんふんと鼻を引くつかせているばかりだ。

睨み合い状態の二匹を見て何でも屋はほくそ笑んだ。ポケットから透明のビニール袋を取り出してその中からガサゴソとおもむろに猫の手を取りだした・・・。

偽物の。

カチッとしたがつかなかったので付属の電池を入れて、何でも屋は仕切りなおした。

レーザーポインター?何でも屋にはよくわからないが、テレビで猫がこれを追いかけているのを見た時からちょっとやってみたいと思っていたのだ。

思惑通り、猫たちは初対面であることも忘れてドタバタと赤い光を追いかけ始めた。最近の玩具はよくできているもので、手元近くでは赤い二重丸に見えるが、少し離れた方へ向けると赤いネズミの形が浮かび上がってくる。猫は視力が悪いというから、ねずみの形まで認識できるかはわからないが、熱狂というにふさわしいほどの運動量である。人間の方が予想外に早くくたびれてしまった。

考えてみれば赤いねずみは生きていないのだから、それを動かすのは人間だ。猫たちが遊ぶ間人間はずっと片手を振り回し続けねばならない。

黒子猫はすぐに気分を変えたようにご飯を催促し始めたが、哀れ目つき鋭い三毛猫の方は狩猟者の気分が抜けず食事もそこそこに赤い光が消えたあたりにじっと居座っていた。それは人間の方が食事を終えても続き、可哀そうになってまたしばらく遊んでやったが、光が消えるとまたそこでじっと待っている。飽きて三毛猫の尻尾にじゃれつき始めた黒いやつとは対照的な忍耐力と執着心である。

その玩具のおかげで何でも屋の意図した通り猫たちが初対面で牽制し合うことはなかったが、黒子猫と一緒に何でも屋の布団の上に乗りこんできた三毛猫は豆電球だけのうすぼんやりオレンジ色した部屋の中でまだあの赤いネズミを探すように虚空をじっと見つめていた。

果たして三毛猫がそれほど赤いネズミに執着し追い続けるのはそれが楽しいからだろうか。あるいは、獲物を仕留めるまではどうしても生きた心地のしない悲しい狩猟生物の性なのではないだろうか。それを成し遂げなければ自分の生命が脅かされるというような本能的恐怖によって赤いねずみを命がけで追い続けるのだとすれば本当に気の毒なことをしたと面白がって人工のねずみを与えた自分を何でも屋は芯から反省したのだった。




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