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猫は踏まれても引っかかない

ピアノを習っていたのに、猫踏んじゃったが弾けない。子どもの頃、習った楽譜のバイエルに載ってなかった。

新入りの麦わら猫は、床の色と一体化する。気に入らないことがあると、噛み付くぞとやってみせるのが癖なようだ。しかし、セミ猫の真似して、扉の前に寝そべって立ちふさがるようになったものの、誤って蹴飛ばしてしまったら、逃げ出しただけで引っ掻いては来なかった。

三毛のセミ猫も同様で、こちらが歩いているときに足にじゃれついてくる事はあるものの、誤って蹴飛ばしても怒ったりはしないようである。自分が悪いとわかるのであれば、通路を塞ぐのはやめて欲しい。

セミ猫は、麦わらのトンボ猫よりも自分の方が立場が上だと自覚したらしく、気が向いたらいじめている。追いかけ回して優越感に浸っているのである。嫌な性格をしているが、猫なので可愛くも思える。

以前に買った猫の名作短編集を読んでいたら、最近朗読をしている徳富蘆花の猫の短編も収められていた。

文豪たちが書いた 「犬」の名作短編集 https://amzn.asia/d/hGynNvo

この文豪たちが書いたシリーズは、犬もあるようだ。Amazonのネットショップで、猫のほうは中古で1円だったが、犬は200円であった。猫差別である。

いや考え方によっては、猫の方が売れているから在庫が余っているのかもしれない。犬と猫、文豪たちに愛されたと聞けば、どちらかといえばまっさきに猫を想像してしまうのは私だけであろうか。

文豪たちの書いたものは、すべて名作と呼ばれる類であろうか。夏目漱石や芥川龍之介、太宰治に宮沢賢治。梶井基次郎、萩原朔太郎などそうそうたる面々が猫についての短編を書いている。

私が特に面白いと思ったのは梅崎春生の「猫と蟻と犬」であった。

作者が体調不良で、私の心情と合致するところが多かったのである。胃が悪ければセンブリ、腸が悪ければゲンノショーコを昔の人は漢方として用いたらしい。今も用いるのかもしれないが、胃はともかく腸が悪いと言うのはどうやって実感するものだろうか。私は病院で診断がつくまで、自分の腸が悪いなんて気が付きもしなかった。

服用するとたちまち効果が現れることから、「現の証拠」と言われたようだ。すぐに効く薬なんてちょっと怖い。しかし、作者によると漢方薬は効能が緩慢で、効果が実感しにくいと書かれていた。それほど体調が悪かったとみるべきか、漢方の言い分がいささか大げさだと見るべきか。

この話に出てくるのはカロと言うとても始末の悪い猫とエスと言う飼い犬である。戦後の話らしくしきりに放射能の影響をいうのだが、なんでも疫病のせいにする現代と似ているなと思った。

徳富蘆花の小説の「不如帰」では、"江戸の仇を長崎で討つ"という言い回しが出てくるが、これは意外で筋違いなことで他人を責めたて仕返しをすることをいうらしい。

お盆休みの結果は火を見るよりも明らかなことだった。火を見なくても、火事になるという事は分かっていた。
それで文句を言いたくなるのは、世間がお盆休みで遊び疲れてしまったからではないかと思う。お盆休みで散財し、疫病を貰い受け、我に返って、金が足りない、世間が大変だと激烈に政府を責め立てている。本来政府を責め立てるのは、野党の仕事であるのだが、世間の癇癪が収まらない。

しかもそれが日本だけかというとそうでもないというのがいかにも悲しいことである。

100年前のスペイン風邪から40年以上たっても何かのせいにする世間の風潮は変わらなかった。そして現代でも変わらない。
人々は変革を恐れ続けている。

作者は何でも放射能のせいにすると呆れながら、最後は蟻の数が減ったのは放射能の影響がないとは言い切れないという結論に落ち着いている。

そこは鶏のせいだと言って欲しかった。
蟻を突く鶏が悪たれで、その鶏を襲う猫が始末に負えずに、もらった先に返すのだ。

誰からもらったわけでもない、トンボ猫は返す先もない。よほど外が辛かったのか、雨音に反応することもなく、窓には決して近寄らない。

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