本当に怖くない猫の話 part.6 後編
依頼人は8時過ぎに身なりを整えて起きてきた。黒猫と三毛猫に挟まれている何でも屋を見て少し眉を上げたものの、落ち着いた様子でお茶を淹れると何でも屋にもすすめた。
「今日はどうしましょうか」
「とりあえず、その子猫のことを聞いてみないといけませんね」
「そうですね。お願いします」
何でも屋は何となく一人で旅館の人に子猫のことを聞きにいく気がしなかったので、ひたすら依頼人が起きてくるのを待っていたのだ。明け方の午前4時からずっと。長い長い朝だった。
「うちの子じゃありませんねえ。お客様の猫”かも”しれませんから、調べます。こちらのカフェで少々お待ちいただけますか。紅茶サービスさせていただきますね」
無料で紅茶飲み放題というのは朝からありがたい。朝食のバイキングを食べそびれたのは気の毒だということで、フルーツの盛り合わせまでサービスしてもらった。
カフェといっても保護猫カフェ。獣臭も相当したが、何でも屋も依頼人も嫌な顔一つせずフルーツ盛りを平らげた。昨日夕食時にお互いが甘党であまり酒を飲まないことが判明していた。
「習慣を変えたのは人間の方だったんですね。うちの猫、いつもご飯を食べた後にお座りしてにゃあと鳴いてごちそうさまを言いに来るんです。子猫の頃はそれに感動して、毎回撫でてあげていたんですけど、朝5時とか眠くて。いつの間にかおざなりで、ここ1ヶ月撫でてあげなくなってたのかな?数日前に、撫でないからご飯あげても最近いつまでも朝鳴くんだと気づいたわけですよ」
依頼人の三毛猫はずいぶんと律儀な性格であるようだ。他に他にトイレをした後、必ずスコップに入れておく、皿からこぼれたごはんは食べないなどとても神経質な猫であることもうかがえた。その件の三毛猫は、未だ客室の中である。三毛猫の見合い相手を探しに来たのではあるが、いきなり鉢合わせて喧嘩しても困る。そもそも何でも屋の膝の上でくつろいでいる黒猫をまずどうにかしなければならない。あちこちいる保護猫たちと遊ぶ気はないようで、膝の上を自分の居場所とでも決めているような態度に何でも屋は居心地の悪さを感じていたが、無理やり下ろすこともしなかった。
「お泊りのお客様の中に、黒い子猫を連れたお客様はいらっしゃらないみたいですね。もっとも、子猫は小さいですからそっと持ち込まれて置いて行かれてもきづきませんけどね」
フロントから出てきた女将らしき着物姿の女性が困ったように顎に手を当てて説明した。
「そういうことがあるんですか」
依頼人が尋ねると、女将はそっと苦笑した。
「さてねえ。近所の野良猫が迷い込んだのか、あるいは捨て猫をお客様が見かけて連れ込んだのか、元々うちに置いていくつもりで持ち込んだのか、調べようがありませんから。去っていったお客様に口無しです」
なるほとそういうことがあるのだと納得しながら、何でも屋は依頼人と顔を見合わせた。
「そういえば、ここの猫はずいぶん綺麗な猫が多いですね」
何でも屋はこの際だと気になっていたことを聞いてみた。依頼人の猫の見合い相手探しのためにずいぶんと保護猫施設を回った何でも屋であるが、この旅館ほど血筋正しそうな綺麗な猫ばかりのところはなかった。
「ペットショップで売れ残った子を引き取っているんです。ちょっと足の悪い子もいますけどね。病気の子は少ないし、綺麗なもんですよ。うちは商売をやってますから、とっても子猫の面倒なんか見られません。大人の猫が病気になってもてんやわんやなんですから」
そう言うと女将常備しているらしい猫の譲渡用件を書いた紙を前掛けから取り出した。猫種について詳しく説明が書いてあるのは、なるほどペットショップから譲り受けた猫らしい。古い旅館は数年前に改装したらしく、二人が座っている猫カフェスペースは和モダンともいうべき洒落た雰囲気だ。女将が30代から40代と年若いので、きっと猫といい店の様子といい趣味が高尚なのだろう。聞けば旅館預かりの猫は30匹までと決めていて、引き取り手が出て空きが出なければ次の猫を預かることはしていないということだ。確かにそうしなければ、次から次に捨てられる猫がやってきて収拾がつかなくなりそうだ。
「うちはいまちょうどエイズキャリアも白血病の子もいないので、みんな元気なものですよ。このご時世でお客様が減っていなければきっとみんな貰い手がついているんですけどね」
女将は熱心にすすめてくるが、依頼人はなぜか気が乗らないようだった。ただ、ほとんとどの子か引き取るつもりで来て断るのも悪いと思ったのか、この旅館に元々来る予定だったオッドアイの白猫を飼っている知人の方にオンライン通話で連絡を取っていた。画面越しに猫を見ている相手の方は非常に乗り気で、可愛い可愛いと騒いでいる。というか、夫婦で今日家にいるなら何も依頼人にここの旅行券を譲らなくてもよかったようなものだがなどと考えながら何でも屋は膝の上の子猫を撫でていた。
外国種の猫たちは確かにしつけも行き届いて広い旅館で飼われているだけあってストレスもなく元気そうで可愛いが、人懐っこいノーマルな黒猫も悪くはない。
「ちょっと女将さん。また玄関先に段ボールで猫が・・・」
旅館のスタッフらしき人が持ってきた段ボールはずいぶんと大きく、好奇心に駆られて二人がのぞき込んでみれば生後1ヶ月は過ぎていそうな白い猫が一匹段ボールの深い底でにゃあにゃあ鳴いていた。
「困ったなあ。田中さんは、もう猫預かれないわよね?」
「うちは狭いアパートにもう猫3匹いますよ。他のスタッフさんも同じです。本当に困りますよ。勝手に捨てて行って・・・」
「いっそ、捨て猫お断りってでかでか看板出そうかな・・・。でもねえ。猫旅館だしなあ。実は今朝黒猫も1匹来たのよ」
女将が視線をやった先には何でも屋の膝の上でくつろいでいる子猫がいた。困ったなあと女将と旅館のスタッフの若い女性、それに心なしかフロントのスタッフもこちらに視線を向けて成り行きを見守っている気がした。
困ったなあ・・・困ったなあ・・・。その言葉の先は保健所?
「困ったなあ」
依頼人は苦笑しながらキャリーケースの中で行きと違ってにゃあにゃあ騒いでいる猫と膝の上の2匹の子猫に囲まれてちんまりと座っていた。
困ったなあと言われると何でも屋も困ってしまう。ミラー越しに依頼人を見るとあの旅館の女将と依頼人の表情がかぶってしまう。
「僕も暇ですから、仕事がない時には猫を預かりましょうか。その代わり、日中猫をたまに預かってもらえたら・・・別に。子猫2匹は大変でしょう」
依頼人の視線に耐えかねて、何でも屋は車を運転しながらつい言ってしまった。
「良いんですか?助かります。何なら、里親探しも頼んで良いですか?いきなり3匹飼う気はないので」
「わかりました」
金払いの良い依頼人だ。否やはない。しばらく依頼人は車窓を眺めていた。春の終わりしかも高速道路で見る雨の日の景色にたいして面白みはない。
「いっそ何でも屋さんがうちに住み込みで来て下さったら・・・」
ぽつりと依頼人が呟いた。
「え?」
「いえ、うちは男手がないから。ヘルパーさんも週通いだし。古い家だから、いろいろ不便なんですよ。なんというか今回の旅行で何でも屋さんなら気楽だなあと勝手に思ってしまって」
依頼人の言葉に何でも屋は苦笑を浮かべた。確かに二人で旅行に来ていて何もないのにいきなり同棲を想像したのは行き過ぎていたようだ。部屋が別れてさえいれば案外気楽なもんだと何でも屋も思ったのだ。しかし、いいですよと簡単に頷けるほど何でも屋は柔軟な思考の持ち主ではなかった。
「暇ですから手が必要ならいつでも行きますよ」
雨の道行をまっすぐ見ながら何でも屋は答えをはぐらかした。とりあえず、今回も猫の見合いは空振りに終わったようなので、依頼人との付き合いはまだ続きそうだ。
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