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コーチのためのスポーツ心理学(番外編①)私にとっての最高のコーチ

こんにちは!

今回から少しずつ、コーチのためのスポーツ心理学シリーズの番外編として、これまでの記事に対する私自身の考えをまとめていければと思います。

前回の記事では、リーダーシップとは何かということについて紹介しています。

その中で、「あなたにとって今までで最高のコーチとは?」という問いかけをしました。

今回は、その質問に対する私自身の考えをまとめていければと思います。

実際に考えていく中で、自分自身のコーチング哲学などを見直すきっかけになると思いますので、皆様も共に考えてみていただければと思います。

私にとっての「最高のコーチ」

結論から言うと、私にとっての「最高のコーチ」はいません。

これは、優れたコーチに出会えなかったという意味ではなく、私自身が選手としてコーチングを受けた経験がほとんどないことからこのような回答にならざるを得ないということです。

しかし、良いも悪いもこのことが私自身のコーチング哲学などに大きな影響を与えているのではないかと、前回の記事をまとめながらに感じていました。

なぜ「最高のコーチ」が重要なのか

そもそも「最高のコーチ」はどうして重要になるのでしょうか。

当たり前のことですが、コーチが選手に対して持つ影響力というのは非常に強いものだと思います。(その影響力が良いものであろうと悪いものであろうと)

「最高のコーチ」となれば、その影響力は計り知れません。

そして、多くのコーチは、自身が選手の頃に経験した「最高のコーチ」のスタイルは、自分にとって最高であるが故に、ある種の教科書的なものとしながら模倣するのではないでしょうか。

というよりも、意識せずともそのコーチの影響は少なからず自身のコーチングに反映されていると思います。

そういった点でも、「最高のコーチ」というのは、ある意味、自身のコーチングの原点でもあり、それを自分自身が知っているということは極めて重要になるのではないでしょうか。

常に疑問を持つ姿勢の重要性

しかし、前回のnoteにもまとめているように

自分にとっての「最高のコーチ」と全く同じになることはできません。

また、あなたが「最高」だと思うコーチングスタイルが、全ての選手に適しているとは限りません。

私は幸運にも、日本一や世界一を経験したコーチとスタッフとして活動をする機会に恵まれています。

知識も経験数もまだまだの私にとって彼らのコーチングから学ぶことが多いのは紛れもない事実ですが、世界一のコーチが行なっているコーチングの全てを鵜呑みにするのは危険です。

大切なのは、「良い」「悪い」の二択ではなく、自分に適した第三の選択肢を見出すことだと思います。

常に疑問を持ち、自分なりの解釈を加えていくことが重要になるのではないかと改めて感じています。

私の経験から

私自身、選手時代にコーチングを受けた経験が少ないです。

中学時代:専門の指導者なし
高校時代:部活動経験なし
大学時代:選手主体のチーム、後半はスタッフに
大学院時代:選手引退済み

以前は、この経験不足を弱みだと考えていました。

しかし今は、選手目線でロールモデルとなるような指導者がいないために、より柔軟な視点でコーチングに向き合えるということは1種の強みなのかもしれないとも思っています。

おわりに

今後も私自身がアナリストやコーチとして学び、活動を続けていく中で、様々なコーチと出会う機会があると思います。

それぞれのコーチの「最高」の部分を学びながら、自分自身が「最高のコーチ」に近づけるようにまだまだ研鑽を続けていきたいと思います。

皆さんも、自分にとっての「最高のコーチ」について考えてみてください!

それが、「最高のコーチ」になるための一歩になるかもしれません。

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