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20240430

ものすごく久しぶりにログインしました。
何かを書こうとか、何を伝えようとかそういうことは置いておいて。
(いつかは、ちゃんと考えるんだけど)
生存報告的な意味も込めて。
はじめまして。ぽちのようなもの。です。


「大人になったら、なにになる?」

先日オットが「何者かになれてよかった」と言ったことが、ずっと気になっています。
「何者かになる」ってなんだろう。
だって、あなたはあなたで。例えば、右腕がなくなって今の仕事ができなくなっても、あなたなんだけどなと思ったりしました。(言ってないけど)
それに、その理論?でいくと、私は何にも成れていないかもしれないと急に不安にもなりました。だって、仕事もずっと同じことを出来ているわけではないし、母親ではあるけれど、【ちゃんとした】母親ではないし、なったというよりは、母親という一部もある、みたいな。
こういう【ちゃんとした】みたいなのを、気にしなくていいということは、解っているけれど、いまだに私は私のイメージする【ちゃんとした母親】像に囚われているとこがある。少しずつ変容して、解放されているところももちろんあるよ。
話をもとに戻す。そう、ピアニストだとか、先生だとか、そういう名前のある職業人にも成れていない。
こうやって、文章を書くことで整理されるかなと思ったんだけど、それはちょっと違うみたいだ。

「大人になったら、もっと大人だと思ってた」

大人になった、なんて思うのは、自分の昔の写真と今の写真を見比べたときくらい。しかもそれも、顔が変わったというか。自分で言うのもなんだけど、「良い顔」になったなというときよ。
顔は変わる。すごい。私は、ほぼ毎日鏡を見て自分のことを「今日もよいですね」と思う。にこっとしたりする。ふふふん。

2020年のわたし (撮影:あだなちゃん)

あと、自立を意識するようになったと思う。誰かに私を慰めて欲しいわけじゃないし、私の悲しみも喜びも私のものだと感じることが多い。もちろん、一人じゃ浮上できないときは、ちょっと隣のオットに「ハグして欲しいんだけど」と言ってみたり、お酒をじゃぶじゃぶ飲んでみたりする。もちろん明日の予定を考えて、だけど。
でも、子どものころに思ってた大人は、感情的にならない、なんかもっと道を示してくれる引っ張ってくれる存在だと思ってた。そんなことね、難しいよねえ。感情的になるときだってあるし、教えられる道は示しますけど、それは性格的なものもある気がする。私、実はA・B・Cパターンくらい先を考えるのが好きです。

またね。今日もありがとう。


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