関係性の曖昧さ。


友達がほしい。


学校を卒業してからというもの、人との関わりは必要最低限になった。
関わるのは家族・職場の人が多くなっている。
このご時世というのも関係しているのかもしれない。


元々インドアすぎる故、普段から顔を出すコミュニティもないし、
たまに中学・高校の友人に声をかけられてやっと重い腰を上げる。
人付き合いも得意とは言えない。
壊滅的に人間と接することが苦手だ。
でも基本人は好き。
矛盾している。


まず職場の人とは、友人になりたくない。
一定の距離感を保っていたい派だから。
実際はその距離感を破っても良いくらい馬の合う人もいるのだけれど、
際限がなくなるのは嫌だから。その人のことを好きなままでいたいから。
やっぱりやめておきたい。
その職場を離れることがあれば、アリなのかもしれないけれど。
極端に近くなるのは嫌だなと思ってしまう。
だって、離れたくなくなるじゃない。

わたしはまだ「嫌だ」と言えない人間だから。
それを練習している段階。
「〜しない?」と聞かれると「楽しそうですね」「良いと思いますよ」なんて心では思って口にしてるけれど正直気乗りしないことに、結局流されてしまう。
職場の人には特に顕著で、本当に断れない。
ニコニコして、顔色ばかり伺って、「あ、何言っても無駄かも」と思うとすぐに諦めて口をつぐむ。「こんなこと言ったら失礼かな」っていつまでも言えない。
中途半端すぎて自分の首を絞めるばかりの付き合いをして、消えたくなっちゃう。
共感はよくするが肯定することはあるといえど少ない方。
それに気づいているのは自分だけかなと思うから、別に察してくれとも思ってはいないけれど。
本音をまっすぐに言えるくらい、わたしが主張とかできる人間になる以外ないだろうなぁ。

やっぱり職場の人はやっぱり同僚とか先輩とかがちょうど良いんだと思う。

切ないな。なんだか。

それと、友達って作るハードル高すぎない?


「心地良いな」って思ったらどれだけでも一緒にいられる。
「なんでも話せる」って思ったら心を開ける。
「苦手だな」って思ったらちょっと距離を離せる。
都合良すぎるのかな。
学生時代は交流を避けられない状況が絶対的に存在していたから。
今はもう、自分から何かのコミュニティであったりイベントに参加してみないと友達って作れないのかしら。




なんていうか、境界線が曖昧なのかな。
なんとなく、今書いていて思った。
関係性にわざわざ名前をつけないのかもしれない、なんて。
その名前はたくさんありすぎるから。

友達、同僚、先輩、後輩、同期、知人、〜仲間

これ全部、割とつかず離れずにいる人の関係なのでは。
ちょっと仕事関係で仲のいい人みたいな例を思わず多く挙げてしまったけれど、
これ以外にも相当たくさんあると思うけれど、それは大目に見てほしい。


つらつらと書き始めて、ここまで自分の考えていることを長々と綴り、やっとタイトルに文字を打ち込んだ。

「関係性の曖昧さ」


その関係性の名前は必ずや一つでなくても良い。
わたしはなるべく関係性の名前が友達であることを望んでるだけなんだな、なんて。心地良い関係が好き。
ただどんな関係でも誰に対してもできる限りの誠実さを忘れないこと。
わたしにはまだそれしかないんだから。


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