見出し画像

田中一村展と二眼レフ

芸術への鑑賞眼のようなものは昔から持ち合わせていませんが、たまに絵画の展覧会に行きます。自分が知るわずかな範囲の中でも好きな感じの絵というのがあって、時々そんな作品を眺めたくなるからです。今回、近くに行く用事があったのを幸いに、田中一村さん(1908-1977)の展覧会を千葉市美術館で見てきました。

奄美大島の風景を蝶や草花、鳥などとともに描いた作品で知られる田中一村さんですが、奄美に渡る前は千葉で20年ほど暮らしていました。この美術館では2010年にも田中一村展を開いたそうですが、その後、一村さんの支援者だった方などからの寄贈を受けたりして収蔵品を充実させ、その全てを一堂に会する展覧会として今回新たに開催しています。

田中一村さんの作品展示は、奄美大島にある田中一村記念美術館がよく知られていますが、そのほかではまとめて見られる機会が限られています。私が一村さんのことを知ったのは数年前、実際の作品を見たことがなかったので、貴重な機会となりました。

田中一村さんがどのような生涯を送ったのかとか、その作品についての詳細は、私などが書くよりもずっと上手に詳しくまとめているウェブページが沢山あります。ここでは、存命中は残念なことに画壇でほとんど評価されることがなく、亡くなってから広く知られるようになった方です、とだけ記します。このエントリでは、私が今回の展覧会で感じたことを2点書きます。

まず、若い頃の一村さんの絵の感じは、後年奄美大島に移り住んでからのものとかなり違っているなということ。私は、第二次対戦中から戦後すぐの頃に、千葉の田園風景を描いた作品いくつかに惹かれました。「夕日」や「千葉寺収穫」という題が付けられた色紙大の作品は、淡い色使いで余白が多く、それでいて小さく描かれた人や遠景の木々は、近寄ってみると驚くほど精細に描かれていました。素朴でありながら、心の中に情景が浮かんでくるような絵でした。

もうひとつは、戦後になって写真が普及する中で、一村さんも作品の構図などの参考として美術写真の本を参考にしつつ、自分でも写真を撮ることに凝っていたと説明されていたことです。特に、1950年、47歳のときに一村さんが九州、四国、紀州をめぐる旅をした際には、「二眼レフ(!)」のカメラを持参して写真を撮ったのだそうです。

残念ながら展覧会の会場にはカメラについてそれ以上の情報は書かれていませんでしたが、一村さんが写した真四角のモノクロ風景写真が数枚、展示されていました。絵画と写真を並べて展示しているものがありましたが、見比べると写真の面影は絵画の方にもあるものの、細部の描写や何といっても色づかい(写真はモノクロです)のため、かなり違う印象を受けました。

ちなみに、後で調べたところ、同じ会場で10年前に開かれた一村さんの企画展ではカメラの展示もあり、そこを訪れた方のブログに、オリンパスフレックスA3.5という機種のようだ、とのことでした。

ただ、オリンパスのサイトを見ると、この機種は1954年の発売となっていて、1950年の撮影旅行とは年代が合いません。一村さんは奄美に行ってからも二眼レフのカメラを使っていたそうなので、2010年の展覧会で展示されていたのは、後年一村さんが使ったカメラということなのでしょう。

だとすると、1950年の旅行の際はどの二眼レフを使ったのか。それは私にはわかりませんが、日本製二眼レフの人気に火を付けたリコーフレックスIIIが1950年発売、ミノルタも1937年には二眼レフを発売していたといいますから、このあたりの機種なのかもしれません。


ともあれ、田中一村さんと、二眼レフ。ローライフレックスではなかったかもしれませんが、思いもしなかったものが結びついていたというのは、なんとも面白いことです。一村さんの絵は精緻ではありますが写真をそのまま絵画にしたようなものではありません。でも、二眼レフの上から覗き込むファインダー越しの逆像の景色や真四角の写真が、一村さんの画家としての創造力に多少は何かを訴えかけたということが、もしかしたら幾度かはあったりしたのかもしれません。

そんなことを考えていたら、私も二眼レフを持ち出して写真を撮りに行きたくなりました。

最後にひとつ。今回の田中一村展は大人の観覧料が600円、図録はハードカバーでなくソフトカバーで作り1320円という、どちらも良心的な価格でした。千葉市美術館が地元で長く暮らした一村さんのことを研究し続けるという姿勢と合わせ、地域とともに歩んでいくという気概が伝わってくるようで、好ましく感じました。開催は2/28までです。




いただいたサポートは、ローライ35Sやローライフレックス2.8Cなどで使用するフィルムの購入や現像などに使わせていただきます。