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好き、だったのかもしれない[1500]

注. トラウマ?

めちゃくちゃ仕草が移って、持ち物が被って
気まずかった。

お互いコミュ障で、目も合わなくて
沈黙だった。

お互い決めつけた第一印象は、
訂正される兆しが見えなかった。

汚いくせ字で匿名のメッセージを書いた。
ちぎった裏紙が行ったり来たり。


ーあらあら、今年も担任じゃん。

試験週間には、二人とも疲労していた。
ぼんやりしてつまづいて、ぼんやりしてすっぽかして
よくぶつかった。よく笑った。珍しかった。

ぎこちなかった関係も、もっと頼ってほしいと会議室で手を握った昼休みも
毎日会ううちに変わって、越えて、
ときどき、悩み事を相談されるようになった。家庭のこと、職場のこと。
途中で我にかえって、いつも一人称が”先生”になることは気づいてる?

はじめは『毎週放課後会いましょう』
次は『日記みせて』

定期試験も終わって、夏休みに向けて
心が浮ついていた時期だったと思う。

休み時間に資料室まで呼び出された。
初めて入る埃っぽい古い空間。もういるのかな?
「失礼しますー」
ドアを10cmほど閉めずに残した。狭い場所は苦手だから。
ボール遊びをしている生徒の声が短く響いていた。

「失礼します…」薄暗い部屋に、二、三歩足を踏み入れたら
パーテーションの奥で、静かに振り返る先生が見えた。

『あぁ。鍵かけて』

逆光でよくは見えない。でも、冷たい顔してた。
こっちにも目をやらず、先生テキパキと準備してた。

『はあ。早くして?』

溜め息吐いて、怒られた。
乱暴に歩み寄られる。あれ、こんなに大きかったっけ?
あと一歩で私に届いてしまう。


なんで、なんで。

何もできなかった。
残り10cmの扉さえ自分で閉められなかった。
鍵かけられなかった。先生のお願い、聞けなかったよ。


『ここに..これ….こうやって…して…』


『もういいよ、』


「……ありがとうございました」
無力だった。出口まで辿り着けなかった。
扉はとても重くて、自力で開けられなかった。


その後なんかどうでもよくなっちゃって、追い出された廊下でしゃがんでたら
しばらくして資料室から先生が出てきて、

何か言ってくれるんじゃないか、ごめんの一言でよかった
まだ情けがあるんじゃないかって。頭を撫でたりとかしてくれるんじゃないかって。せめて微笑んでくれたら、それでいい。私は救われる。


でも目線を上げても、目は合わなかった。
何も告げず、心底嫌そうな顔して去っていった。

あんなに暖かかった体温は、素敵なものだったはずなのに。
あんなに繊細な指先は、とっても綺麗だったはずなのに。

いつもの無表情は、それでもネガティブな表現ではなかったのだ。
あの顔を見たら


私は、立ち尽くした。変わってしまった。
でも教室も、ロッカーも、何も変わっていなかった。

廊下も教員室もいつも通り眩しかった。もう誰もいなかった。
その日は、どうやって帰ったんだっけ。
まあどうせ家にも誰もいないんでしょ。




後日談

それでも好きだったのかもしれない
もう一回限りで、それ以上に関心はなかったみたいだけど
私は空気みたいに3月まで先生のクラスで過ごした。

できるだけ会わないようにって、だって会ったらあの顔が向けられた。
他の誰にも優しいのに、ひどいよ。

友達や他の先生は、異変に気づいて
心配で声を掛けた。でも、すぐに忘れちゃったみたいだった。
私も何も言わなかった。他の誰でもなく、私自身のため。
先生がいなくなっちゃったら嫌だったから。


蛇足

時効ですが、夏ですね。絶対 #忘れられない先生 に入れちゃダメだ。
優しい思い出もいっぱいあるよ、嬉しかったことも、助けられたことも。
楽しかった。あったかかった。安心した。

でも、こういうのは権力とか、思い込みとかじゃない
双方の同意があってなるものだぞ


自分は捨てられたくなかったから、”用無し”になったことが一番辛かった。
それさえ守られれば、何されても多分だいじょうぶだった。
まあ、こんな天秤かけちゃいけないんだよ。

でもあの時は、学校が先生たちが
信頼のすべて、大人のすべて、社会のすべてだったから。
勘違いというか、強迫観念というか。

今でも窓から差し込む夕日を見ると思い出すし
スクエアのメタルフレームは苦手です。
眼鏡フェチなのに。冗談じゃない

それに誰にも喋ったことないんだな
言っても何もならない。でも伝えたい。知られたくない。
そんな感じ。

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