捨てる神あれば拾う神ありなイタリア生活で
「散々な目にあって、もうやだ、日本に帰ろう!って思うと、ビックリするくらい良い人が現れたりするのよね。それでまた、帰れなくなるのよ…」
イタリアに住みはじめた時、私よりもずいぶん長く滞在している人がそう呟いていたのを、今も時々思い出す。
皆が憧れるイタリアという国も、住んでみると、なかなか大変なことの方が多くって、私もよく、打ちのめされたりする。特に、役所などの手続きごとは、人によって言うことが違うし、あちこち振り回されたりで、それを「たらい回しの刑」と私はよんでいるのだけれど、イタリアに来て、この洗礼を受けなかった人は、多分、いないだろうと思ったりする。
日本に居たら、「普通」に機能する事が、イタリアに居ると、「普通」に機能しない。
あれは確か、2年前のこと。
私は、イタリアで自動車免許を取得した。
自動車学校に入校し、所定の手続きを受けていると、
「あれ?アイディンティティカードと滞在許可証の「出身地」が違うよ。これだと試験を受けられないかも。」と、言われた。
滞在許可証は、パスポートに合わせて、本籍地が表記されており、アイディンティティカードは、ただ、「日本」とだけ表記されていた。学校の先生によれば、同じ表記でなければ、同じ人だと判断されない場合も、人によってあるのだという。
困っちゃうイタリアの、みんなが思う「自分が正しい」で、大いに翻弄されるのである。
自動車学校で言われてすぐ、滞在許可証かアイディンティティカードの「出身地」を直すことに奔走した。滞在許可証は、場合によっては、半年以上かかりそうだから、アイディンティティカードの修正を役所に願い出た方が早いと判断した私は、直接、出向かう事にした。ただでさえ、混み合っている役所で、待つこと数十分、ようやく自分の番になったのに、「個人データの修正は、電話でアポイントを取ってください。」とあっさり追い返される。仕方ないから、その場で電話をすると、あと5分で閉館時間を迎える役所に受話器を外したままにされ、誰も応答してくれない。結局、翌日、電話をしたら「それでしたら、来月のこの日に来てください。」と、取れたアポイントは、約2ヶ月後。念には念をと、変更に必要な書類を聞いておく。
「日本人ですから、大丈夫だと思います。」
電話に出た彼女の、その言葉を信じたかった。
2ヶ月ほど経ったアポイントのその日、役所に向かった。予定の時間より、ちょっと早めに着いたのに、結局、待たされる羽目になる。役所の約束事は、なぜにこう時間があるズレ込むのか?って思うけど、それも含めて、イタリア。文句を言っても仕方がないから、大人しく待っていた。ようやく、自分の番になり、「あの、出身地の修正をお願いします。」と言われた書類を見せる。
「ハァ〜」
担当のシニョーラは、大きなため息をついた。
「この書類じゃ、ダメなのよ。」
聞けば、日本から戸籍謄本を取り寄せ、「出身証明」というのを翻訳付きで日本大使館に出してもらい、それを役所の別の機関で有効化してもらった書類を提出しなければならない…と言う。
日本から速達便を送ってもらったとして、イタリアの郵便事情、かなりの賭けである。なによりも、試験の期日まで、残りあと10日。これを逃すと、支払った金額をも失う事になる。
担当してくれたシニョーラに、それまでの経緯と、役所の対応と、自分の現状を訴える。
シニョーラは、小さな紙切れを手に取ると、何やら書き込んで、私にそっと差し出してくれた。
「事情は分かったわ。ちゃんと書類が指定できなかったこちらのミスでもあるし。これ、私直通の電話番号。今からまたアポイントを取ってると、時間がないでしょ。必要な書類が揃った時点で、電話ちょうだい。私は常にここには居ないんだけど、その時居る場所で対応するから。」
ありがたかった。
その時、なんだか、シニョーラが神様に思えた。
捨てる神ばかりではない、拾ってくれる神。
多くのことが不条理なイタリアで出会う、救いの神は、法を超えたところにいて、その優しさはきっと、イタリア人の大好きな「アモーレ」からくるのではないかと思う。
それが無かったら、今、私は多分、ここには居ない。
試験までの10日間、私は奔走し、無事にアイディンティティカードの出身地の書き換えをすることが出来たのは、試験の2日ほど前の日であった。
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