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「反日教育」と実際~私は韓国で人々に守られて生活していたことを忘れない

今から私が書く文章は、私は、政治運動に身を投じるのではなくて、人と人との触れ合いの中で育まれる関係作りを大事にしたいと思っているというお話です。

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私は、韓国(ソウル)で10年暮らしていた。
その間、「反日感情」に晒されたことは何回かあった。

エピソード1

息子が韓国の小学校4年生の時のこと。新学期がスタートした3月1日の始業式の日に、新しく赴任した担任の先生に息子は「先生は日本が嫌いだから、日本の話なんかしないで」と言われ、その後、息子が日韓ハーフであることを知る後ろの席のクラスメイトに「俺も日本は嫌いだ!」と言われたと息子から聞いた。
私は、非常に悲しくなり、校長室の前を通りすがった時に、校長先生に訴えることを思いつき、とっさに校長室のドアをノックした。
たどたどしい韓国語で、私の悲しみを正直に伝えると、校長先生は非常によく共感してくださり、その日の午後、息子の担任の先生が、校長室で強く指導されているのを目撃した。(たまたま、校長室のドアが少し開いていて、見えたのだ。)

その後、私は、その文言は忘れたが、韓国の公立小学校の歴史教育における理念は、反日教育ではなく、その時代から真実を学び、後世の私たちが同じ過ちを繰り返さない為に学ぶものなのだというような説明を受けた。つまり、反日感情は、その担任の先生個人のものではあっても、理念の上では、私たちは韓国の公教育から敵意を向けられているのではない、という意味だと私は受け取った。
また、このエピソードを聞いた知り合いの韓国人の方が、公立小学校に長く勤めておられる影響力のある教職者の方と私を繋げてくださり、今後、このような問題が発生するのであれば、問題解決のために学校に働きかけてくださると申し出て下さった。私はそれで満足した。


エピソード2

夫と夫の友達の3人で、弘大(ホンデ)で遊んでいた時のこと。
日韓関係が悪い時期で、多くの店の入り口に「日本人立ち入り禁止」というビラが掲げてあったらしく(私は気が付かなかった。夫が私の目に触れないようにしてくれていたのかもしれない。)、夫の友人がひどく憤ってくれて、「これは違法行為だ!」と言って、どこかの公的機関に通報してくれた。私は気が付かなかったので、気分を害することはなかったが、そのお友達の行為を嬉しく思った。


エピソード3

息子の髪を切りに床屋に行った時のこと。ニュースを見ながら、そこにいた人達は、日本について何か否定的なニュアンスの事を言い合っていた。私と息子は顔を見合わせて、「なんかビミョーな雰囲気だね」と苦笑いしたが、お会計の時、「あら!あなたは日本人でしょう?発音から分かるわ。私たちのさっきの会話を聞いて、嫌な気持ちになったでしょうね。」と言い、自分の親戚も日本にいるような事を言った。私は、そういう正直な会話ができる韓国の雰囲気をとても気に入っている。その人は、私個人に敵意を抱いているわけではないことをちゃんと伝えてくれた。


韓国に住んでいると、反日感情に晒されることもあるし、教職者による反日感情による「教育」というものも存在している。


しかし、私を守り、傷つかないように保護してくれたのも韓国人である。

私は、そういう実際の人間関係に触れているので、政治の世界から見える景色と、実際の生活とは次元が違う事柄であるということを強調したく、

政治運動やメディアによる印象操作によって生じる感情を、実際の生活に引き下ろして来ることには、自戒の意味を込めて、注意しなければならないと思っている。

私は、良い体験も悪い体験も含めて、韓国は魅力的な国だと思っているし、韓国の人々が友好的に接してくれるのは紛れもない事実なのだ。


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