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文法の授業についての私のモヤモヤ

 私が勤務している日本語学校は、科目選択制なので、クラス単位で授業を担当するのではなく、科目別で担当することになる。そして、今期、私は、B1.2クラスでは、文法の科目を担当している。

「文法を教える」ことに関して、今、私は、自分の中に、何か腹落ちしていないモヤモヤが存在している。文法の授業で何を目指して授業をしているのか、明確な道筋が見えていない。そんなわけで、日々、思考錯誤しているのだが、自分の考えを整理するために、何かを書き出してみることにした。

科目概要

この文法の授業の概要は以下の通りである。

目的:日本語運用に不可欠な基本的な文法表現・語彙の用法の知識と運用力をつけること。

目標
①日本語運用に不可欠な基本的な文法表現の用法に十分に習熟している。
②①を具体的な文脈の中で正確かつ適切に用いることができる。
③日本語運用に不可欠な基本的な文法表現・語彙のうち、主なものの用法を理解している。
④③の類似の他の表現・語彙との区別がわかる。

使用教材:『TRY! 日本語能力試験 文法から伸ばす日本語 N3』

方法:用例・用法・文脈の提示、代入・文作練習、小テストなど。

留意点:・できるだけ、知識だけでなく運用を重視すること、インテイクのための練習や復習の時間を設けること、教室活動は双方向のアクティブな学びを目指すこと

言語学習に対するお互いのビリーフ

今期、授業が始まる前に私は学生に「何のために文法を勉強しますか?」と聞いてみた。

メモを取らなかったので、印象に残ったことだけしか思い起こせないが、日本語学習を始めて、大体1年程は経過しているであろう学生からは具体的な答えが返ってきて、非常に参考になった。

・しないといけないから(気持ち的には、したくない)
・正しい文を作れるようになるため
・会話ができるようになるため
・大学に行くので、アカデミックな日本語を習得したいから
・JLPT対策のため

学生からの答えを受けて、

・ 「正しい文を作れるようになることは、なんのために必要ですか?」
・「会話ができるようになるために、文法を勉強することは必要だと思いますか?」
・「文法を勉強することは、みなさんの日本語学習の中で、どのように役に立っていますか?」

などと聞き取りをしてみた。
すると、学生の日本語学習へのニーズとビリーフが様々であることが伺い知れた。

・私は日本語を話すために文法の勉強は、必要ではないと思っています。
・読んだり書いたりするためには文法の知識が必要です。

特に、私が印象に残っている答えは、

自分のことばをより正確に、詳しく表現するために文法の勉強は必要です。

その後で、必要なことだったのかは分からないが、学生から聞き取った答えを受けて、私の文法学習に対するビリーフも学生に共有してみた。

「私は22歳になってから初めて出会った韓国語という外国語を、一切、文字での学習をすることなくして、日常会話を話すようになりました。もちろん、文法は勉強したことがありません。」

時々、私と韓国語で話す韓国人の学生がクラスに2人いたので、「私の韓国語はどうですか?」と聞き、「とても上手です。」と証言してもらったあとで、

「私は韓国で生活して、たくさんの韓国人の家族といっしょに暮らし、毎日毎日、韓国語を聞き続けたので、韓国が話せるようになりました。だから、Kさんが言ったように、私も会話をするために文法の勉強が必要だとはあまり思っていません。ただし、日本語と韓国語は文法がよく似ているとという点は、あるのかもしれませんね。」

「けれども、私は韓国語が話せるようになったのはすごく早かったけれども、もう20年経ちますが、Aさんが言ったように、読んだり書いたりすることはできないし、日常会話から離れたニュースなどは聞き取るのが難しいし、アカデミックな世界で韓国語を使うことはできません。

文法をなんのために勉強するのか。

私のビリーフは、Aさんが言ったように「読んだり書いたりするために」そして、「いろいろな場面で、自分のことばをより正確に、詳しく表現するために文法の勉強は必要だ。」と言ったHさんと同じですね。」

文法( B1クラス)の授業準備


さて、私は日本語教師歴2年足らずの者であるので、教材の力を借りずに、独創的な授業を繰り広げることはできない。極力、教材の意図を読み取った上で、教材通りに授業を進めることを志しているのだが、私が授業準備で参考にしている資料は以下の通りだ。

◆自分の文法知識のために参考にする本・サイト

日本語文法ハンドブック スリーエーネットワーク
日本語文型辞典 くろしお出版
コーパスから始まる例文作り くろしお出版

上記の仁子先生の文法説明は、「明日の授業のために今、知りたいこと」をドンピシャリで教えてくれるので、困ったときは必ずサイトを訪問する。

◆例文を考えるときに参考にする本

日本語文型辞典 くろしお出版
生きた例文で学ぶ 日本語表現文型辞典 アスク出版

文法に関する知識を蓄えた後、提示する例文を考える。

基本的には、使用教材である『TRY!』に載っている例文を提示するが、難易度調整と、例文の数を増やすために、本を参考にする。

なるべく、学生にとって真正性の高い例文を提示したいと思っているので、参考書に載っている例文を書き換えて使っている。

◆運用のための活動アイディア

中級日本語文法を教えるためのアイデア集 ココ出版

この本には本当にお世話になっている。今期、私がN3で扱っている文法表現はこの本には載っていないことが多かったが、アイディアを真似させてもらっている。


学生からの反応

 私はとりあえず、「文法の授業」と呼べるものを実行しようと何か授業は組み立ててはいるものの、私の授業実践をどのように評価したらいいのかが分からないでいる。

私の授業を評価する観点といえば、例えば、

・学生の授業への満足度

・学生の日本語運用能力の向上(文法学習からの考察?)

・学生のパフォーマンス(試験の成績・JLPT合格)

といったことになるのだろうか。

「学生の授業への満足度」については、「直接、学生に聞けばいいんですよ。私は機会を見つけては、授業実践後に聞いています。授業は教師だけではなく、学生といっしょに作るものですからね。」とベテランの先輩からアドバイスを頂きはしたが、いかんせん、小心者の日本語教師3年目の私には、授業後に直接、学生に聞きにいく度胸はない。そこで発生するであろうやりとりに対応できる自信がないので、これは、ボチボチということにしたいと思っている・・・。

「学生の満足度」については、学校が全体で行っている学生アンケートと、フィードバックを返してくれる有難い学生からの声によって、多少は知ることができる。

不満がある学生は、たぶん、直接私にはフィードバックを返してはくれないと思うので、学生アンケートに頼るのみだが、今まで文法の授業に関しては、概ね、「非常に満足」という高い評価を得ており、FBにコメントをたくさん書いてくれる学生が多かった。修了後にも、わざわざLINEで「ユン先生の授業は私にとって、とても意味があった。」とコメントをしてくれたり、お土産を持って「ユン先生の文法の授業が好きだった」と挨拶に来てくれた学生もいた。

褒めてくれるポイントは以下のようなものが多かった。

・文法ポイントに関する説明が分かりやすい
・例文と練習の数が多い
・丁寧である
・楽しい・面白い

しかし、真摯に受け止めたい不満の声は以下のようなものがあった。

・Sensei would often skip difficult Kanji because Chinese kids already knew it but neglected the non-Chinese kids.
・文法点は日常的も能力試験のためも関係はありません。

前者の不満は、漢字圏の学生が多かったクラスで発生した不満であり、後者の不満は非漢字圏の学生が多かったクラスで、漢字圏の子が書いてくれたものではないかと推測している。

私は一体、何をしているのか

 私は他の人の文法の授業を見たことがほとんどないので、自分の文法の授業の特徴がよく分からないでいるが、実感として思っていることは、

文法は意味を言葉で説明したからと言って「分かる」ようなものではないと強く思っていたことから、多くの例文を用意して、文脈からの意味推測によって「感じ取ってもらいたい」と思って、授業をしていた。それゆえ、言葉による説明よりも、私の声色や体を使った演技と、イラストなどに頼る説明をしており、それを言語化する役目は、クラスにいた優秀な学生に頼っていた。

しかし、今、私は、文法課題を「形態論」「統語論」「意味論」「語用論」で考えたときに、かなり「意味論」「語用論」からのアプローチだけに寄っていたのではないかと考え始めるようになった。


私は前期、私のクラスを受講していた学生たちの文法の定期試験の成績が軒並み悪かったことと(私の授業実践とテストに一貫性がなかったことも原因としてあるだろう)、

また、前述した学生の不満の声「授業は日常的にも能力試験にも関係はない」から、

「私の授業は、情意面ではウケている面があったとしても、学生の日本語運用能力向上や、ペーパーテストで点数をとるなどといった学生のパフォーマンス向上には、あまり結びついていないのではないだろうか。」と反省し、今期、少し、路線を変更した授業を展開しているのだ。


私はもっと文法について、前述したような参考文献を見ながら勉強するようになったし、文構造に注目した図をスライドで示したり、テストで点をとれるようになることも意識し始めた。


今期の学生は、非漢字圏が多いクラス構成となっており、また、分からないことは「分からない」と、ものすごく明確に反応を返してくれる学生がいるのが特徴で、すべての学生がその文法事項について「分かった」と反応を示しているかに、ものすごく注目するようになった。

おそらく、前期までの私の授業実践に比べ、「教える」ために私が主導権を握っている比率が上がっているのではと感じており、そのバランスを保つために、復習と称して、前回の授業で扱った文法事項を問う問題を用意して、グループワークで解答を考えてもらう時間をかなりとっている。


前期までのクラスは、私が話していても、いろいろな質問と話題が飛んできたので、一斉授業をしていても、個人化したやりとりが発生しやすい雰囲気があったが

(そして、文法事項とは関係なく、その例文が話題にしていることに関連するやりとりもたくさんあった。)


今期は、私が話しているときは、黙って聞く人がほとんどなので(これはクラスの性格だと思う)、グループワークの時間が、自分の理解確認の時間となり、お互いに教え合う機会となればいいなと期待している。


まだ定期試験は実施されていないし、学生からのアンケートが出てくるのは、6月以降になるので、今期の私の授業実践について評価するのは難しい。

前期までは、「この未熟な私の授業から、学生は、何か分からないけど、何かを勉強してくれているようだ」という漠然とした感じだったのに対して、今期、私は、「学生に勉強させている」感が強い。

正直なところ、どちらもあまりいいことのようには思えない。


「文法の授業」とはなんであるのか?何を目指しているのか。


例えば、授業で扱う文法表現の「習得」は、文法の授業の中では起こらないと私は基本的に思っている。読解や何かの時に「ああ、文法クラスで習ったあのときの文法ね」と繋がるのだろうと思う。
そして、目先の文法のテストで点数を取ることも過小評価してはならないとも感じる。(私の文法クラスは、JLPT対策目的ではないにしろ)

私がしていることは、学生にとって役に立つものになっているのだろうか?

私の中には、まだ、自分がしていることを客観的にみることのできる視点と、言語が足りていない。
(といいつつ、すでに4000文字以上も書いてしまったが・・・)


だから、ずっとモヤモヤしている。


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