見出し画像

39:今朝おもったこと


今通院している病院の紹介を受けて、今度大学病院で診察とテストを色々受けてみることにした。


『あなたは精神疾患でも発達障害でもないです』と最終言われる予感もしているが、ともかくそれらの傾向を持っている人間として、最近考える事がある。

自分はマイノリティなのにマジョリティの土俵で戦おうとするから心がすり減るんだろうなぁと。

「普通はこう」という概念に抗いつつもなんだかんだで囚われている。

「普通はこう」を押し付けてくる周囲にも勿論問題はあるのだけど、
(本人たちは押し付けているつもりは無いこともある。多数派だというだけで圧倒的な力を無自覚に持ってしまうのだからそれはある意味で仕方がない。)

変に引っ張られてマイノリティなりのやり方の模索が中途半端になっていたのかなぁと。
そっちにもっと頭を使った方がいいのかなぁと。

そしてそのためには自分なりのやり方で結果をだすのが大事なのかなぁと。

なんでマジョリティのやり方にこだわってきてしまったかと言うと、ずっと自分のことを
「自分のことを特別だと思い込みたいだけの普通の人(ダサい)」だと思っていたからだ。
だから「普通のこと」に抵抗を感じたり苦手な気がするのは甘えであり努力不足だ、と。

しかし今リアルにマイノリティの可能性が浮上している。

そこにはただただ自分が「マイノリティである」という事実が横たわっているだけだ。

ただそういう事実がある。
ならばその事実に対して適切な戦略と行動をとればいい。それを受け入れられずに劣等感を膨らませて、ネガティブ思考に陥ってみたり自己愛に走ってみても本当の意味では満たされず、時間だけが無常に過ぎ、人によってはわたしのように病になる。


『わたしマイノリティなんです』と周りに理解を求めたり同情を乞いたくなる。そんな自分の気持ちはわかるんだけど、そういうのって得体が知れないから結局引かれてしまうだけなんだろなぁと。
こういう当たり前のことをふいに忘れて行動や言動にあらわしてしまう(またはそのような衝動に駆られる)あたり、やはりわたしはズレているのだと思う。
このもやもやはnoteや、芸術や運動の趣味をもって解消していければよいかと。

ズレを縮めよう縮めようとやってきたけど限界を感じている。
ズレているなりに周囲に思いやりをもって接し、自分なりの成果を出したら周りからもそれなりに受け入れられるんじゃないかなぁと。
人間メリットを感じたら文句も言わなくなると思うんだよね、、
このズレの具合やズレている分野をテストで確認できたらいいなぁと思う。

定型を目指すタームは終わったのかなぁと。
非定型を強みにして定型と共存する生き方がいいのかなぁと。

そんな事を思いました。マル。


なんだかループな文章になってしまった。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?