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回想散文1-3 ひとり遊びルーティーン


自然や動物が昔から好きだった。

転校先の小学校は、団地というコンクリートジャングルの中にある割には敷地が広く緑も豊富だった。子供の視点から見ていたからそう感じただけだろうか。母校は廃校になってしまい今となっては確かめようがない。

特に2棟ある校舎の間の中庭は、わたしのお気に入りの空間だった。

長めの休み時間になると、アクティブなクラスメイト達がドッチボールなどをしに表の校庭に出ていくのを後目に、1人中庭へくり出す。

敷地の大半は花壇と畑が連なって埋まっている。
授業では使わないと思うのだが、何故かメロンがなっていたりしていた。
片側には緑のアーチがあり、夏には糸瓜(へちま)がなる。冬には枯れて「これはスポンジとして使えるんだよ」と先生に言われて、カスカスになった糸瓜を持ち帰ったこともあった。

畑の間を進んでいくと突き当たりに動物小屋があった。大小の鶏、ウサギたち。小動物が大好きなわたしはしょっちゅう金網に張り付いていて、特に子ウサギたちを愛でていた。
定期的に触れ合いタイムとして中に入る事ができ、通ってウサギを抱っこしては嬉しがっていた。同じく鶏も放されていたのでたまにそちらも観察していた。ある時ゴキブリが走り去るのを一羽の鶏が素早く捕まえて食べてしまい驚愕した。

動物小屋と校舎の間を北に行くとプールがある。校舎とプールの間の校舎沿いにもまた花壇があった。殆どいつも日陰のような場所(という記憶がある)にも関わらず、誰が植えたのかひっそりと野菜が育っていた。茄子やトマトの生育具合を定期的にチェックする。

プールと外壁の隙間の細長い敷地は果樹園になっていた。勝手に柵を開けて入り込むと枇杷がたくさんなっている。花梨(カリン)がなる季節にはその甘い匂いが辺りに漂っていた。。



こんな風に1人フワフワと気ままに遊んでいただけの時間が、自分にとって幸せなひと時としていまだ記憶に留まっている。

寂しかったはずなのに孤独な感情を思い出せない。一緒に誰かがいた事もあったはずだが、その友人たちの顔は思い出せない。
そこに誰かいるかはあまり関係がなかったのかもしれない。

自分が自分らしく、孤独だけど自由で満たされた時間だった。


(つづく)


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