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回想散文1-5 算数ができないこども


小2までのわたしは勉強ができない子供だった。

勉強ができないというか、「概念が理解できない」ことが度々あった。
例えば数字。「10」の次がなぜ「11」になるのかがわからない。
1,2,3,…8,9,10、、? 1,2...
10まで数えたところで次が分からなくなってまた1に戻っていた。


言葉の覚え間違いもあった。一度間違えて覚えた言葉を正す事ができない。
『たまねぎ』を『たまげに』
『せんたくき』を『せんたっき』
言いやすさの問題だけでなく、周りから「違うよ」と指摘されて自分でも「違うよな」と分かっているのに当時は直せなかった。


左右の概念も長らく身に付かなかった。
小1のとき、黒板の右側に「みぎて」左側に「ひだりて」と書いた手の形をした画用紙が貼られていて、みんなそれで左右を覚えた。
わたしは2年生になっても覚えられていなかった。
分からなくなるたび、小1の頃の教室を思い出しては、黒板の向き(と思う方向)に身体を向けて、「あぁこっちが右(左)だ」と確認していた。頻度は減っていっていたが、この確認作業はたぶん高学年まで続いていたんじゃないかと思う。

全部、自分でも変だという自覚があって、なぜ周りが当たり前のように理解できる事が自分にはできない(もしくは理解が遅い)のだろうと思っていた。『なんで分からないの?』と親に言われても、なんで分からないのかが自分でも分からない。成長するにつれてそんな自分を隠すようになっていった。

教師の影響もとても受けやすかった。
小2の頃の担任は厳格な印象の女性の先生で、わたしとしては初めて関わるタイプだった。それまでキャラクターで通せていた部分が通じない感覚があった。授業中におしゃべりをしてしまうことがよくあったので、注意されては『この先生はこわい!』と思い込んで怯えていた。
細かくは覚えてないがその場面で怒るのは当たり前だし、それほどこわい人でもなかったんじゃないかなと思う。

人から怒られるということに昔から異常に恐怖を感じ、敏感だった。

自分が変であることをカバーできるように
大人の人に怒られないように

この価値観から後々わたしはいい子ちゃんルートへと進んでいったが、小2の時点では頭が追いつかず、先生への恐怖心も強かったので、器用に「いい子」ができていなかった。
不思議なことに、先生に怒られたり注意されるほどにわたしの行動は先生の意にそぐわない方向へすすんでいた気がする。
先生からは挑発的な態度にみえたかもしれないが、わたしはただ「こわかった」のだと思う。

でも、だからといってその後の人生の「いい子ちゃんという仮面を被るルート」がベストな選択だったとは思えない。

結局は問題の先送りであり、失うものも多かった。小2の時点では頭はよくないけどなんとなく周りには受け入れられていて、仲のいい子はそれなりにいたし、少々問題児だけど自分らしくはあったのだ。
「そのままでいいんだよ」と、当時の自分には言ってあげたい。


(つづく)


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