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【回想散文】 絶望のシーン

自分はあの時確実に『絶望』していたなと度々思い出すシーンがある。

1つめ。
夜中の渋谷の暗い道を1人で歩いていた。行ってみたいバーがあって、とても入りにくい空気感ではあったが入る。真っ赤な怪しい店内。煌びやかな装飾。腕にタトゥーが沢山入った男の人がバーテンとDJをしていた。レコードを替える。流れ出したのはフランスギャルのEllaという曲だった(1987)。とてもいい曲だけど物悲しい音。その男性がかける曲としては意外だった。きっと色々あるのだろうなと深読みした。その時の自分にはその全てが心に刺さってつらかった。視覚的な刺激と詫びしい音色が脳裏に焼き付いている。

この頃、都合をつけては定期的に東京に来ていた。仕事の用事で東京に行く機会があればなるべく週末に調整して残った。当時執着している人がいてとても会いたかった。好きという感情とはもはや違っていたかもしれない。承認欲求に突き動かされていた。この時の感情を全て言語化するのは難しい。自分の存在意義のようなものがその人のお陰で揺らいでいて(と、錯覚していて)なんとか取り戻したかった。そこに自分の求めている人生の正解があるような気がしていた。その時は自分が何を求めているのかが分からないので、とにかく心の穴を埋めようと必死だった。相手の反応に過敏で返信が来ないのでは、拒否されるのでは、とLINE一通送るのも恐怖だった。その人と東京とクラブのようなアンダーグラウンドな世界は自分の中では繋がっていて、心の痛みだった。今は紆余曲折経てかなり克服したと思うが未だ昇華しきれていない部分もある。だからこうして文章にしている。

2つめ。
1つめと同じ機会だったかは覚えていない。その時も東京に残って会えないか連絡をとった。タイプ的に直前じゃないと決めてくれない気がしたのと、重く思われたくなかった(この発想が違うと思う)ので金曜あたりに偶然を装って連絡した。宿までとってあるくせに。 会うとなったら渋谷辺りだろうか。どういう展開になるか分からないので都心から近い場所に宿を見つけたかったが、当時はインバウンド需要絶好調ということもあり都心近くの宿泊費は軒並み高額だった。それでよくファーストキャビンというベット式のカプセルホテルのようなホテルを利用していた。それでも1万/泊くらいはかかっていた。夕方、会う約束ができて浮き足立った。夜になってホテルで仕事終わりの連絡を待っているとLINEが入る。残業で遅くなりそうだから会うのは難しそうと。 会えなくて残念。また会いたい。わたしはそれ以上何も言えず、その寝床しかない狭い空間でぼんやりと天井を見つめていた。一体何をしているんだろう。。

どっちも美談にしたいところだけどやっぱり思い出すと辛い気持ちの方がまだ強い。絶望感で精神的に追い詰められていて少し飛んでしまっていたと思う。当時夜中の東京をうろついていた記憶は何度かあるが、いつも地に足がついていなくてどこかふわふわしていた。何かを探して彷徨い歩いている感じだった。自分にも至らないところはあれ、トータル的にはその頃のわたしを気の毒に思う。

カウンセラーからは自分を大切にと言われる。そうして生きたいけど、決して優れた人間じゃないという自覚がある。今だって会社を休んでこれを書いてる。むしろ傲慢で自己中な人間なんじゃないのか?欲深くて身の程知らずなんじゃないのか?と思う。驕り高ぶりたくはない。だけど、じゃあ自分にとっての妥当ラインはどこなのか。妥当ラインとはそもそもなんなのか。自分が大切にしたい価値観とはなんなのか。。

この時の自分が求めていたのは『エモさ』だったのだと振り返って思う。あるがままの自分を認めてほしい。親の愛情のようなものを求めていた。けど論理的な思考も大事にしたい人間だと今は思える。エモ寄りではあるけどエモもロジカルもどっちも自分には大切で尊重したい。そのバランス感覚が合う人が好きなのかもしれない。


昔よりはクリア見えてきたけど今もまだ暗中模索している。

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