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回想散文1-1 団地生まれ団地育ち


小2の時転校した。

引っ越して学区が変わったためだった。もともと県営住宅に住んでいたので世帯年収が増えればいずれ出なければならなかった。なぜあのタイミングだったかは親に聞いた気もするが忘れてしまった。
親、というかほぼ母親が決めたんじゃないかと思う。父親は家計や教育に無頓着でローンの返済計画なども母親がいつも考えていた。
母は、世間的にいう姐さん女房というやつかもしれない。年齢は父親の6つ上だ。今の時代でも珍しい位なので当時は相当に珍しいケースだったと思う。
とは言っても、母親が父親に口うるさくしているというわけではない。家事は母が全て行っていたし、子供の世話もほぼ母親、基本は父を一家の大黒柱として立てていた。が、大人になるにつれて知った一般的なその世代の価値観よりはかなり薄く、世代の割には近代的な価値観の夫婦だと思う。
また、逆に父親が母親に家事や教育で文句を言ったり、稼いでいるのは自分という顔や発言をしているのも(小言は除いて)見た事がない。
世代的価値観が年齢差で相殺されてフラットな夫婦になったのかなとか考える。

そんな親(というか恐らく母親)のライフプランにより中古マンションを購入し、引っ越すことになったのが小学2年生のころだった。
母親はローンの心配からか引っ越しと同時にフルタイムのパートをはじめ、わたしは転校するとともに鍵っ子となった。

今の時代では母親の社会進出が進み、そう珍しい事ではないだろうが当時はまだ鍵っ子(・・・学校から帰宅した時に保護者が不在のため自宅の鍵を携帯する子供)は少なかったように思う。こわがりでマザコンだったのでとても寂しかった記憶がある。けれども、小学2年生は孤独であると同時に自由な心で生きていたときでもあった。

その経験は自分の人生への影響がとても大きい気がしている。

(つづく)


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