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第1章 原点 ①「就活中なのにNYへ?」

 「私、来週からニューヨーク国連本部に行ってきます」

 大学の指導教官と学務係の職員にそう報告したのは2014年4月中旬のことだった。1週間後の渡米を報告すると、意外にも応援してくれた。

 実は前年の12月8日、私は「ナガサキ・ユース代表団」第2期生の一員に選ばれた。これは、長崎に住む若者らが核兵器廃絶の分野で自ら行動できる人材になるための人材育成プログラムのことだ。
 ユースのメンバーは、NPT(核不拡散条約)再検討会議[1]や、その準備委員会[2]を傍聴する。また、各国の政府関係者やNGO、大使らと英語で意見交換をしたり、平和教育や他国学生とのディスカッションといったメンバー有志のプログラムなどを計画・実施したりする。

 私は同年4月28日(月)~5月9日(金)にかけてニューヨーク国連本部で行われるNPT再検討会議第3回準備委員会に出席しようとしていた。当時大学4年生、他の同級生と同じく就職活動の真っ最中だった。私は公務員志望だったので、試験勉強をしつつユースの活動をするというチャレンジングな決断をした。なぜそんな無謀なことを?と思われるかもしれない。

ユース2期生任命式の記事(長崎新聞掲載)
任命状を受け取る筆者。
気合を入れすぎて前髪を切りすぎている。

 私が核問題に関心を持ったきっかけは、大学3年生のとき、先輩から「この夏、大学生が核問題を考えるイベントをやるから、その実行委員にならないか」と声をかけられたことだった。当時の私は時間に余裕があったので二つ返事で承諾した。
 数日後、委員会の集まりのため、長崎大学にある核兵器廃絶研究センター(通称:RECNA(レクナ))へ行った。8月9日の原爆の日に合わせてやるイベント(実際の開催日は翌10日)と並行して、RECNAの中村桂子先生から核問題の講義を受けた。そこで学んだのは、世界にはいまだ17,300発(2013年当時)の核兵器があること、核保有国は世界に9か国あること、それらの国は核兵器を抑止力として自国および同盟国を守るために保有していることなどだった。

 私はこの学びで「核問題は面白い」と思った。被爆地長崎で生まれ育ち、小中高と平和教育を受けてきたが、そんなことは一度も習わなかったからだ。
 記憶にぼんやりとあるのは8月9日の登校日、11時02分の黙祷、鶴を折って、被爆者の話を聞いて、原爆資料館に行き、平和を願う歌を歌う…それくらいだ。そこで先生が言うことは決まって「戦争や原爆はダメ」「みんな仲良く」といったことだった。
 悪いことに、これらのことを学ぶ理由や「なぜ戦争はダメなのか」といったことは先生は教えてくれなかったし、考えさせることもなかった。当時の私は「そんなの当たり前じゃないか」と思うだけで、平和教育で何を習ったかすら記憶に残らないほど無関心だった。

 しかしこの講義で目から鱗が落ち、強い関心を持った。「核兵器ひとつとっても、抑止のために必要という見方と、廃絶してこそ平和という全く正反対の見方があるのか。もっと学びたい」という好奇心でいっぱいになった。


[1] 核不拡散条約(NPT)の運用状況を検討し、条約の実効性を高めるため、最終文書の全会一致を目的に5年に一度開かれる会議。

[2] NPT再検討会議に向けて論点や流れを確認したり、具体的な議論をしたりする会議。5年後の再検討会議にむけて、3回の準備委員会が開催される。

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