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才能があるから脚本家になったんじゃない。


まず、この文章は「です。ます。」調を使わないことをお断りしておく。
これまでの投稿は主に、「脚本家を目指している方」へ向けて、私程度の短いキャリアの者でも知っている限りのことを綴ってきた。頼まれてもいないのにノウハウを伝授する気恥ずしさから「お前誰だよ。偉そうに語ってんじゃねーよ」と自分に自分でツッコんでしまい、自ら公開しておいて時折「お前がノウハウ語るな」モードに陥り、消してしまいたくなるときもある。それでももし誰かのお役に立てたら、という思いで書いて来たため、なるべく丁寧な文章を心がけて来た。
今回の記事は随筆と言えるほど優れた文章ではないし、そんなもの古のmixi村にでも書いてろみたいな日記に近い。(mixiはアカウトパスワードともに忘れたが、里帰りしたい気持ちもある。)
言い訳はこのぐらいにしよう。

私はいわゆる普通の生活が大の苦手である。
小さい頃から朝起きるのは無理だし、夜は眠れない。
部活、勉強、友人関係、恋愛。
何かが気になると、そのことだけが頭を沸騰させ、寝るべき時間には朝になっている。仕事をしなければならない時間に、うちにある食材をいかに効率よく消費していくかを考えるだけで半日経つ。今やらなくていいのに、洋服の毛玉が気になったら数時間取り続けてしまう。いわゆる「過集中」と言われるもので、発達障害に悩む人々の中ではお馴染みのワードかもしれない。そして、過集中の末には「無」が待っている。家事はおろか、風呂に入るのも無理になる。
脚本家に限ったことではなく、別の職業に就いている人でも悩まされている人は多い(と、いくつかの本で読んだ)。

そして今まさに、私は原稿のことが頭の大半を占めている中、部屋を掃除できていないことも親や友人とやりとりしたLINEの内容も今ちょっと風邪気味なことも年末年始に帰省するための荷造りのことも次々考えてしまい、脳が全く眠ってくれる気配がない。明日は打ち合わせ。寝ておかないとプロデューサーの言葉を取りこぼす危険性が増す。
そんな話をすると、
「才能があるから」「クリエイターってそうなんでしょ」
そんな声で励ましてもらえることもある。
確かに傾向としては多いかもしれない。
が、そんなことない、面白いものを作った上で、ちゃんとした生活を営む脚本家は、普通にいる。
自分はただ脳の使い方が下手なまま大人になってしまい、たまたま過集中を発揮したタイミングで脚本家になれたという可能性が高い。
「才能」の定義はよくわからないし、もしかしたらどこかに「才能」に近いものが隠れているのかもしれないが、頭を開けてみないと分からない。

私はいま、明日の打合せのことで頭が熱くなっており、なんとか気を逸らすためにこの文章を書いている。書き終わったら、多分また原稿のことを考え始める。
4:43になった。原稿の不安に加え、「起きれなかったらどうしよう問題」が追加されてしまった。
さて、困った。

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