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歌のシェフのおいしいお話(9)ウェルテルブーム続く:オペラ対訳プロジェクト

コンサートなどの活動がぼちぼち再開しつつあるのと、締め切り等の制約のあるnoteマガジンSDGsPicksに参加し始めたために、歌のシェフシリーズはすっかり休業していましたが、前回のウェルテルの話は私の頭の中ではまだ続いています。

先月半ばのロワイヨーモン修道院での講習会で演出家のモシェ・ライザーとパトリス・コリエ、コレペティのジャン=ポール・プリューナのもとでみっちり勉強したのは、《ウェルテル》の登場人物それぞれがどんな性格で、どんな思いでその場面を生きているかを台詞と楽譜、音楽から読み取り、それを舞台で実現するという作業。ほとんど単語ごとに発見があり、またアクセントやポルタートやリズム、拍に対する言葉のつけ方、メロディーの形などを細かく見るにつれ、マスネがいかに繊細に作曲してドラマを作り上げているかがわかります。

例えば、よく「陰気なオペラをちょっと明るくする」というだけの役回りを与えられ、その無邪気さ、陽気さだけに焦点を当てた演出をされるソフィーは、よく読むと実は周りの人の気持ちを感じ取る能力が非常に高くて、状況が良くなるように、皆が幸せになるように、と若い彼女なりに解決方法を考えて振舞う、繊細で健気なキャラクターであることがわかります。また、シャーロットがどれだけ「義務」の観念に縛られて生きているかということはドラマの核の一つですが、それはいろいろな台詞の端々に注目することでより明確になります。

ということですっかりオペラ《ウェルテル》の魅力のとりこになったところで、このブームを皆さんにお裾分けするべく、「オペラ対訳プロジェクト」というものに参加してみました。
これは2008年に設立されたサイトで、ボランティアの協力によってオペラの台本の対訳を作り、インターネット上で無料で閲覧できるようにするというものです。イタリア語、ドイツ語、フランス語等既に多数のオペラの対訳を見ることができます。

仕事柄、本当は対訳に頼らずに何でもスラスラ読めるとかっこいいのですが、自分で全部辞書を引いている時間のないとき、単語がわかっても構文がわからないとき、とにかく急いでオペラ全体の内容を知りたいときなど、学生時代から何度(何万度)このサイトにお世話になったかわかりません。

誰でもなりうるボランティアの協力によって運営されているということは、人によってモチベーションも立場もまちまち、言語力もまちまちで、掲載されている対訳の質は各ボランティアの良識によってのみ保証されている、ということ。要は誤訳も少なくありません。誤訳に気付いた人は訂正する、問題があれば議論してだんだん良いものにしていく、そうした過程全体を含めてこの民主的なサイトは大変意義があると思います。

それで、単に閲覧してお世話になる側から、ボランティアとして参加する側に回ってみようと思い立ったところ、既にどなたかが《ウェルテル》の対訳を載せてくださっていましたが、今回教わった「精密な読み方」をなるべく日本語でも再現するべく、それに前の訳者が「どんどん修正して下さい」というメッセージを残してくださっていたので遠慮なく、大幅に修正を加えました(私自身はまだ訳者からのメッセージを書いていませんが近々お願いして載せてもらうかも知れません)。Vouvoiement / tutoiement(「あなた」という丁寧語モードで話すか、「君」という親しいモードで話すか)の訳し分けをもっと細かくやりたいとも思ったのですが、これはヨーロッパ語を日本語に訳すときの永遠の大テーマで、丁寧モードでも文脈によって親しい感じのこともあるし、うーん………ということでその点では前の訳にあまり手をつけないで、また対訳として機能するように、意訳しすぎず(自分が参照するときに意訳されすぎだとどの語がどの語に対応しているのかわからなくて困る)、なおかつ現代の日本語としてそれほど不自然にならないようにということにも多少気をつけました。繰り返しますが「みんなの協力で良くしてゆく」のがこのプロジェクトのキモなので、もちろんこの訳もゴールではありません。ということで現時点での新しい《ウェルテル》の訳、オペラ鑑賞のお供に、学生さんはお勉強のお供に、どうぞご活用ください。古い映像ですが、例えば…

https://www.youtube.com/watch?v=Xt8AtM6_9Vw&t=292s

調子に乗って、ぜひ広く紹介したいと前から思っていたプーランク《カルメル会修道女の対話》の翻訳をサイトの管理者に申し出たところ、なんと原作者のル・フォールの著作権保護期間が2050年代まで継続しているから今の所このプロジェクトでは扱えないとのこと…。しょんぼりしつつ、他に何を訳したいかのんびり考えているところです。

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