歌のシェフのおいしいお話(16)ペレアスとメリザンド その6
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくおつき合いくださいませ!
さて、ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》をとりあげて既に6回目ですが(オペラのあらすじはこちら、ここでとりあげている第一幕第二場の全訳はこちら、人物相関図はこちらをご覧ください)、今までの5回は全部前置きでして、いよいよそれを踏まえて「どう歌うか」を考えます。
これは演奏者にとっては最も興味深い段階ではあるけれど、一番言葉にしにくいし、歌手によって無数の「正解」、無限の可能性があることなので一般化して書くことにどれだけ意味があるかわかりませんが、演出家的な視点から演奏者的な視点への橋渡しの一例として、書きとめておこうと思います。
「どう歌うか」という問いには三つのステップがあると思います。①その役はどんな人物であるのか。②この場面はどんな状況で、その人物はどんな気持ちでいるのか。③それを歌で表すために具体的、技術的にどう工夫できるのか。
この第一幕第二場に最初に登場するジュヌヴィエーヴの手紙の代読の場面について考えてみます。人物相関図や場面の分析などから既に分かっている情報とそこから推測できることをその人物の視点から整理しなおす作業です。
ジュヌヴィエーヴ
約40年前にこの城に嫁いできたジュヌヴィエーヴは約60歳くらいでしょうか。国王アルケルの息子であった一人目の夫には先立たれ、二人目の夫も重病で寝たきり。アルケルとの血縁はないながらも、彼の信頼を得て、城の日常を実質的に仕切っています。
長男のゴロー(一人目の夫との間の子)は堅実で慎重で頼りになると思っていたのに、半年前に狩りに出かけたきり帰ってこないので、大変心配しています。孫(ゴローと亡くなった妻の間の子)のイニョルドのこともとても可愛がっています。
次男のペレアス(二人目の夫との間の子)はまだ若くてあぶなっかしいけれど、父の違う二人の息子が仲良くしてくれているのを母として嬉しく思っています。
①どんな人物
・若くはないが老いぼれてもいない
・夫は重病で頼れないので自分がしっかりしなければいけない。「しっかり者」のオーラ。「肝っ玉母さん」的な安定感
・二人の息子を愛する母、孫を愛する祖母
・政治的に云々というよりも城の中の「家庭」担当
・望みは息子たちの心身の健康、家庭的な幸せ、なるべく側にいること
・最終決定の権限はないもののそれなりの発言力はある
・野心的な悪女ではない
②どんな状況、どんな気持ち
・ペレアスからゴローの手紙を渡されて相談を受け、既に少なくとも一回、おそらく何度も読んだ状態なので、パニックのピークは過ぎて、ある程度冷静に手紙を代読できる状態になっている。
・とはいえ、愛する息子がどんな気持ちでもう一人の愛する息子に宛ててこの手紙を書いたのか、これからどうなるのかと考えながら読むと、感情を高ぶらせずにはいられない。
・その得体の知れない嫁の話は心配だけれど、とにかくゴローに帰ってきて欲しい。このままどこか遠くへ行って帰って来ないような事態は絶対阻止したい。
・だから、アルケルにもゴローとメリザンドの帰還を認めて欲しい。
・という気持ちを抱きながら、アルケルの反応を伺いつつゴローの手紙を代読している。
③それを踏まえて歌うための工夫
・どこにどのくらい胸声を使うかを考えながら、年齢と、母親らしい雰囲気に相応しい深い声の色を探す。
・楽譜上、手紙の内容が始まる部分に記されている指示は「シンプルに、ニュアンスなしに」。音読しているゆえのシンプルさ、一定のリズムを保つようにする。
・そのシンプルな音読が2行続いたあと、胸が詰まっているかのようなフェルマータがあり、その後”〜qu’on a peur.”までの間は、音程の上下が激しくなり、全体的な音域もやや上がる。音符が細かくなる=話すスピードが上がるかと思えば突然四分音符や二分音符があって、緩急の差も激しくなる。それまでなかったクレッシェンドやでクレッシェンドもあらわれる。手紙に書いてある内容に対するジュヌヴィエーヴの気持ちの高ぶりを敏感に反映して書かれているこうした細かい指示を尊重し、静的な前二行に対して動的な性格が伝わるように気をつける。ということは、同じ音価の音符が機械的に全く同じ長さの棒読みになってしまうことのないように、意味的に重要なシラブルを微妙に長めにするなどしてフレーズに方向性を与える。
・手紙がペレアスへの呼びかけになる部分はそこまでの最高音(+クレッシェンドとポルタート)、ジュヌヴィエーヴ自身について書かれている、「抑制された感情を込めて」との指示がある部分は最低音が用いられている。感情の高ぶりのこの二つの表れ方の対照性がよく伝わるようにすること。
・「アルケルが怖い」というフレーズの後の3拍半の間は、アルケルの反応を伺っているため。その休符をうまく導くようなディミヌエンドをすること。
・「アルケルがそれでもメリザンドを自分の実の娘のように受け入れてくれるなら…」というゴローの要求の核心部分は、1小節に書かれている音符がこの場面で最も多い=最も早口。受け入れてくれるかどうか、という不安からくる緊張の表れか。焦りを表現するのに自分が焦っては本末転倒なので、音程の変わり目(拍の頭に対応している。最後の6連符では裏拍にも)を意識して、また”l’accueillir”と”comme”の間の句切りを利用してコントロールする。
・「(アルケルがメリザンドを受け入れてくれるなら)手紙が着いてから3日目に海に面した塔のてっぺんにあかりを灯せ」という、城の家族への要求の最も具体的な部分は、低いレの音が3小節にわたって連続し、速まるテンポと相俟って、刑の宣告のようなニュアンスを帯びている。その追い詰めるような緊張感を失わずに”mer”まで行くこと。
例えばこんな感じでしょうか。
自分のオーディションの準備のために始めたこのペレアス特集ですが、年始のバタバタで、なんだかペースが緩んでしまいました。当日までにアルケルについても詳しく書く時間がありますように!
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