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英語の勉強


私は昭和生まれの田舎育ちで
子どもの頃は
亭主関白・専業主婦が当たり前だと思っていた。

父は英語を毛嫌いしていて
カタカナ英語を聞くだけでも文句を言ってた。そのクセ、洋画は好きだった。

母はビートルズが好きだった。


中学からいきなり始まった英語。

本当は最初は興味があったのだ。

私はカーペンターズが好きだった。
歌詞の意味を知りたかったというのもある。

どうして外国の人や外国の音楽はカッコイイんだろう?
不思議だった。

だが、当時完璧主義だった私は
スペルを1つでも間違えたりすることで不正解になってしまうのが嫌で仕方がなかった。
ピリオドを打つのを忘れて不正解。
いろんな言い方もできるのに
テストで用意された答えでないと不正解になる。

思えば英語教育も始まったばかりだったから
筆記体とかも書かされて
初心者には読みにくいし
英語って自由な感じがするのに
学校で学ぶ英語は融通の利かない
バキバキに固い謎の学問みたいに感じて苦手だった。

中学で正式に英語が必修化されたのは2002年だったらしいから仕方ない。

ここまで書いて気付いたけど
私が英語に惹かれたのは
外国の人や音楽・リズムから「自由」を感じたからかもしれない、と思った。




私は結婚して仕事をやめた時、
次に何をしたいかと考えたら
英語を話せるようになりたいと思った。


英語というより
他の国のことを知りたいという思いが強かった。

外国の人の考えを知りたいと思った。

外国に行きたいという気持ちも強かった。


そして、英会話教室に通うより
直接現地で学んだほうが早いだろうと思った。



無謀だ。無謀すぎる。



結婚して、まだ夫婦2人で子どもはいなくて。
私は派遣社員としてフルで働いてたけど
契約期間が終わっても契約更新せず
留学してみたいと夫に話した。

私の両親、夫の両親共に昔の人なので
旦那様を置いて留学するなんて有り得ない!
と猛反対されるのはわかっていたので
何も言わずに強行突破。



無謀だ。無謀すぎる。



留学と言っても1ヶ月だし
「何とかうまくごまかして」
と夫に丸投げし
逃げるようにカナダ留学したのは2001年。

電話攻撃(私の母は電話が大好き)してくる母にはすぐにバレて怒られたが
もう慣れっこなのだ。

夫は大変だっただろう。
(ごめんなさい)


もうあれから20年以上経つし
怒られたし、
とても順調な留学だったとは言えないけど
それでも
行って良かったと思う。 

戻ってから英語の勉強は?というと
ほぼしていなかったし、また必死で働いて
その後は子育てに夢中だった。


でもコロナ禍でDuolingoのアプリで勉強するようになりハマった。

今はアプリで手軽に何でもできるからスゴい。

ボケ防止になるかな😊











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