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【書評】記者がひもとく「少年」事件史:少年がナイフを握るたびに大人たちは理由を探す

面白かったので記事を書きます。

【おすすめしたい方】
 刑事司法に携わる方にはもちろんのこと、歴代の重大少年事件について取り上げた書籍ですが、教育に携わる方、子の親である方に色々考えさせるところのある内容なのではないかと思います。
 子どもに携わる方は、自分の子、自分の知っている子が犯罪に巻き込まれたりしないかと不安になられたり、逆にもし加害者になってしまったらどうしたらよいのかなどと一度なりとも思われたことがあるのではないでしょうか。

【どのような書籍か】
  1960年(昭和35年)10月12日の浅沼稲次郎暗殺事件(日比谷公会堂における政党代表放送で演説中であった日本社会党の党首浅沼稲次郎を脇差様の刃物で殺害した事件)を皮切りに、現在に至るまでの新聞各社に取り上げられた少年の重大事件(殺人事件・傷害致死事件等)を通して、社会が少年事件をどのように見てきたか、ひいては「少年」という存在をどのように見てきたかを分析している書籍です。
 今年は安部元首相銃撃事件が起き、前代未聞の事件だと取り上げられていますが、1960年にも上記の同種事件が起きており、見事に瞬間を捉えた写真も残っており、撮影された毎日新聞社のカメラマンの方は、国際的なジャーナリズムの大賞を受賞されたそうです。

 ちなみに、著者の川名壮志さんは下記の書籍も執筆されています。


また、上記の事件の犯人である山口二矢の話はノンフィクション小説になっています。

【学術的なコメント】
 当事者でない市民が犯罪について知る手段はメディアしかありません。マス・メディアによって報じられるまでに情報は取捨され「報道事実としての犯罪」が形成されます。そして、市民にとってはこれが「(報道)事実」と認知され、それに基づいた「犯罪勧」「犯罪者観」が形成されていきます。そして市民にとってはメディアが報じたものが現実として形成されます(矢島、1991)。社会学では、メディアが主題を設定する性質があることをメディア・フレーミングと言います。つまり、この本はメディア・フレーミングがどのように時代とともにどのように変遷してきたかを追ったものと言ってもよいでしょう。
  
 私も自分の担当している授業で常々言っているのですが、人々は犯罪が起きると犯罪者ばかりに注目しがちで、奇異の目で見ることもありますが、どんな人であれ社会との関連があり、その時代その社会からの影響を必ず受けています。裏を返すとその時代に起きた犯罪を丁寧に精査していくと、その時勢が見えてます。
   
 この書籍も、少年事件の取り上げられ方を通して、その時代が想定している少年像、社会の関心事を分析していきます。

 さいごに、個人的に残念な点は、わかりやすさを重視したとはいえ、少年事件の不処分を無罪と言い換えて説明してるところです。不処分は、事件の発生後から少年審判までの間に裁判所等の介入により十分な教育的介入が行われ、保護観察等の処分までは必要ないと判断されたものです。なので、多くの場合、非行事実はありますし、非行歴としてきちんと記録されます。少年事件全数の2割近くが不処分で終局していますので、これが無罪と誤解されてしまうのは小さな問題ではありません。少年事件をテーマにした書籍ですので、この辺りのニュアンスは丁寧に扱っていただきたかったです。




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