言い訳を言うことは、実は無意味ではないのかもしれない
言い訳を言っても何も変わらないけれど、言い訳を言いたくなる時もある。
言い訳って、言っても何も変わらないって自覚してるけれども、言うことですこしイライラが落ち着くこともある。次に進みやすくなる、なら、言い訳を言うって行為は時に必要なのかもしれない。
言葉にして、吐き出す。から、消化される。
だったら、言い訳を言うってことは、実は無意味なことではないのかもしれない。
「今から言い訳を言わせてください」って前置きしてたら良いんじゃないかな。
伝える人や、関係性や、時と場合にもよるかもしれないけれど、オープンな場所で言うことでいろんな人が不快な気持ちになるなら、オープンではなくてもよくて、けど、こんな状況だったんです...って悔しさをたった一人にでも共有できて、苦しさを受け止めてくれる人がいるだけで、その瞬間に手放せる感情もあるのかもしれない。
むしろ、言い訳を言えなくて感情に蓋をしていたら、ずっとぐるぐるしてしまうのかも。反芻ってやつなのかな。
まだまだ自分は感情との向き合いの勉強はしていきたいけれど、これがマインドフルネス的な文脈なのかもしれない。
ただただ、受け止める。ひとりで受け止められるように強くなりたいと思うけれど、人に聞いてもらうことで手放せる瞬間も確実にある。
それがリアクションひとつでも救われたりもする。
自分で自分を受け止められるようになりたいけれど、でもどうしてもわかってもらいたいというか、この状況を知ってほしいみたいな欲張りな自分もいる。誰かに認められたい欲求が強いんだろうなぁ。プライドも高いことも自覚してきた。
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最近は自分だけのグループLINEに吐き出したりもしてる。
こんな感じ。笑
感情的にツイートしちゃうことがよくあったし、今も感情の赴くままにツイートはしてるけど、落ちてる時はちょっと一旦自分でここで吐き出して、受け止めるような練習?をしてる。
それでもやっぱり誰かに聞いてもらいたいって欲があったり、どうしようもない感情を抱く時は、なんでも吐き出せるような人に聞いてもらったりもしてる。
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失敗しても良いんじゃないか
ってのは、走り続けてる中で、やり続けてる中では、まだ許されるのかもしれない。って思った。
人に迷惑をかけるのが苦手っていいながら、多分本当に迷惑をかけたくないなら、色々もっと先回りできていたんだろうなぁ。
先回りできる余裕って大切なんだろうなぁ。
タイムラインを把握せず、後手に回ってしまったやらなきゃいけないこと。初めてやること。GWの祝日でシステムが休止して絶望した自分。
低気圧で低空飛行で、感情ももやもやだし、相変わらず気持ち悪いし、Twitterのタイムライン見ててもふわふわだから、今日起こしてしまったできごと自分の中で向き合ってみた。
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