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夏の思い出とファッションについて

梅雨が明けて、本格的な夏がやってきた。
ファッション好きは、秋冬が好きな人が多いけれど、私は春夏の装いが大好きだ。
夏休みはたくさんの思い出があって、その思い出の中には、いつもこんな洋服を着ていた、というファッションの記憶が一緒にあるからかもしれない。

小学生低学年の夏の夜ご飯の時、姉と私がふざけながらご飯が全然進んでなかったとき、母にこっぴどく叱られたことがある。
その時の母の怖さと相反する、母が着ていたピンクのノースリーブワンピースのかわいいスイカプリント柄は、いまだに私と姉の伝説になっている。暑い夜、扇風機が静かに動き、緊張感が走る食卓と母のかわいいワンピース。あの服着てめちゃ怒られたよね。と。今では3人の笑い話だ。
あの時母が普通のTシャツとデニムなど履いていたらなんら普通の怒られた思い出になっているかもしれない。

洋裁が得意な、はとこのおばさんが私と姉にお揃いの丸襟のワンピースを作ってくれたのよく覚えている。夏休み父の田舎に帰って遊びに行った時プレゼントしてくれた。サッカー生地の涼しげな素材でありながら、深い赤やネイビー、深いグリーンなどシックな色がタイル柄のようにプリントされ、ヨーロッパのおしゃれな子どもが着ているような少し大人っぽい素敵なワンピースだった。
大人になって、ファッションの会社に入社した際に、そのはとこがプレスで働いていて、あまりの偶然の再会にびっくりした。
あのワンピースが大人になって一緒にお仕事をする伏線のような気がする。どこか価値観を共有していたのだ。

高校時代は私服の学校だった。まだまだ好きな服が潤沢に買える年齢ではなかったが、母が大学時代に着ていた服を大切にしまってくれていて、当時最盛期だったDCブランドの洋服と混ぜながら母のお下がりをコーディネートしていた。
母はとてもおしゃれで、当時は生地を取り寄せ、海外雑誌のファッションを参考に仕立てしているような人だった。
とはいえ夏休みの夏期講習で横浜の予備校に行くと他校の学生はみんな大人びておしゃれに見えた。制服の子もいるし、夏休みで私服に着替えている人も多かったので、当時流行りのアニエス・べーを着ている子も多く、私、この格好あってるんだろうか….。と感じた。

そんなある日、予備校に向かう途中でたまたま数千円持っていたので、横浜の地下のショップでセールをしておりトップスを買ってトイレで着替えて予備校に向かった。

別に誰も私に注目してなかったと思ったけれど、なんだかしっくり来た感じが今でも忘れられない。背筋が伸びて、自信が持て街に出ることや知らない人と同じ空間にいることも楽しいと感じられた。なんか素敵な武器を手に入れた感覚だ。

夏の思い出とファッションの記憶がたくさんある。だから私はこの季節と装いに思い入れがあるのだと思う。思い出はずっと更新され続けている。

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