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引っ越し、そして変わらないもの

本から片付け始めたのは失敗だった。
12時から片付けを始めたはずなのに、
気づけばもう16時。

この時点で、ダンボール箱はひとつも出来上がっていなかった。

持っていた本を床に置き、
丸まっていた体をぐーっと伸ばした。

なんでもない日には手に取らないような本も、
何故かこういう時ほど、
読書がはかどってしまう。


本は1回読んだらもう読み返さないから捨てた方がいいと、どこかの断捨離コラムで読んだ。

私の家でも例外なく、
1度読んだ本、
あるいは読みはしたが
途中離脱してしまった本たちが、
ほったらかされていた。

だが、いざ捨てようと思うと、
つい読み返したくなってしまい、現在に至る。


1冊ずつ手に取っては、

パラパラとページを巡ってみる。

まるで手放すことが惜しいのか
落とし物がないかと
確認しようとしているみたいに。

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朝ごはんを食べに

引っ越し1週間前の生活自体は、
意外とのんびりしている。

ちょっと気を使うところといえば、
できるだけ冷蔵庫の中身を使い切ることだった。

綺麗に使い切れれば使い切れるほど
今までほったらかしていた食材たちが
しゃんとしてくる。

ちゃんとスポットライトが当たる。

気が巡るような、
命が吹き込まれるような

そんな感覚を覚えるのだ。

最終的に引っ越しの前々日くらいには
冷蔵庫から食材が全てなくなり、

ボトルの半分くらい残ったケチャップ、
少量のお塩、食べきれなかったバター、
お味噌などだけが残った。

ちょっとした達成感に顔が綻ぶ。


「これくらいなら外にほぉっといたらいいや。」

半端に残った調味料たちをどう片付けようかと眺めていた時、
母がよくベランダを冷蔵庫代わりに使っていたことを思い出した。

バースデーケーキや、大きなボールに入ったサラダなど、冷蔵庫でちょっと場所をとってしまうものたちは、

「天然の冷蔵庫に入れといて」と言って、
母は子供たちに指示を出していた。

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今年の冬は、雪がよく降るくらい冷え込んでいた。

母のアイデアに感謝しながら、
ビニール袋に余った調味料たちを詰めて、
ベランダへ避難させておくことにした。


ここ6年くらいの間に5回引っ越した。
何度か繰り返しているうちに
断捨離のコツを随分掴んだと思う。

使い道不明なダンボールとか空き箱とか
「いつか」のためにとっておいて
結局使わないものとか

やっぱりあったほうがよかった物とか

トライアンドエラーを幾つも繰り返して、
身の回りのモノの量は少なくなっていった。


確信と後悔の繰り返しで
良い塩梅になってゆく。

別に捨てても後悔したことは殆ど無いし、

必要ならまた買えば良い。

それなのに
起こる可能性が限りなく少ない未来に対して
不安を覚え、
モノが手元から離れていくことを恐れた。


20代後半になるにつれて、
人それぞれの個性が浮き彫りになってくる。

結婚して子供ができた人、
仕事や遊びを楽しむ人、
会社から独立して事業を始める人、

生き方や大切にしたいものは様々だ。


同じ時代を生きていて
同じニュースを聞いて
同じルールの中で生活しているはず。

でも、私以外の人たちは
全く違う世界を生きているようにも
思えてしまう。

見ている世界が、違うように思う。

だから周りだけ変化していて
自分はなにも変わらないまま
置いてけぼりな気持ちさえ感じるときもある。


変化することを恐れ、
変化しないことに焦る。

「このままでいい」と思いたいのに
「このまま」であることは不安なのだ。

引っ越しは、
ある意味「変化」を受け入れる覚悟の表れでもある。

変化を求めている時の、儀式みたいなものだとも感じる。


とは言え、新しい家を決めた後、
何度も引っ越しを後悔した。

そして引っ越しの日が近づくにつれて
その思いは強くなった。

このまま住み続けたほうが、
金銭的に得だったのではないか。
あの時の選択は、間違っていたのではないか。
つまらない生活が始まったらどうしよう‥。


新しい環境で生きることには
ワクワクもあるし、同時に戸惑いもある。

そんなソワソワした感情を
存分にソワソワした後で

そっと受け止めるしかないのかもしれない。

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無事に準備を終えて
引っ越しは、滞りなく終わった。


全ての荷物を搬送した後、
抜け殻になった部屋を眺めて、

ここは"ただの箱"だったのかぁと、
思ってしまった。

私の物が、何一つ無くなった。


2年住んだこの"箱"には、
あれだけ愛着があったのに

一瞬にして、「未練は何もない」と
思えてしまった。

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窓から、太陽の優しい光が差し込んできた。

この光が、好きだった。

床に反射する明かりが消えたことを見届けて、
私はその"箱"を後にした。

新しい家の扉を開くと、
そこは見慣れたモノたちで溢れかえっていた。

空間を彩るモノたち。

無性に安心した。

住む環境が変わったとしても、
私の生活は続いていく。

いくら私を囲むモノたちを手放したとしても、
"箱"が変わったとしても、
何か誤って見落としてしまったものが
あったとしても

私が私を見失わない限り、

これからも、「私」は続いていく。


ふと、窓のほうを見ると
前の家で見たような優しい光が差し込んでいた。

窓の角度が違うから
光の差し込み方は違う。
でも、優しい灯りには変わりなかった。

「角度は違えど
変わらないものは"ここ"にある。」

そう、確信した。


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