子どもにはどんどん決断の機会を
今改めて思い返してみると、我が家のあの非常事態時には、子育てや人生のヒントになることがあまりにも多く詰まっていたので、懲りずに話のネタに。
無事意識が回復し、検査入院の結果、心臓も脳も体のどこも悪くないということが判明した夫。
退院できる日も近くなってきたある日、主治医の先生が病室に大事な話をしに来た。
今回は100万分の1の確率で、運良く何の後遺症もなく助かったけれど、また同じことが起きた時、同じように助かるかどうかは誰にも分かりません。医者としては、もし同じことが起きた時のためにICD(ペースメーカーの一種)を装着することをおすすめします。でも、決して強制ではありません。何もせずに帰られる方もいれば、後から心配になってつけにくる方もいる。人それぞれです。
ICDというのは、心拍数が異常に上下するなどの異変を察知した時にだけ作動する、ペースメーカーの一種。電気刺激を心臓に送って心拍を正常に戻してくれる。
埋め込み手術は、左肩下当たりにICD本体を入れ、心臓とICDを繋げる血管内に導線を通す。本体の重さは、ちょうど携帯電話くらい。パスポートの半分ほどの大きさだ。皮膚下に埋め込まれるが、1.5cmほどの厚みがあるので痩せ型の人だと見た目、ボコっと浮き出る。
埋め込み手術は簡単なものらしいが、導線や本体の電池交換のために、これから何年かおきにまた手術をしなきゃいけないらしい。この点が最もリスキーに感じた。
普段の生活で気をつけないといけないことは、電磁波の強い所に近づかないこと。冊子で挙げられていたもので覚えているのは、電子体重計や自動麻雀卓、空港の荷物チェックでくぐるやつ。他は、特に大きな不便はない。
さて困った。
検査で体のどこにも異常はなかった。でも医者にはまたいつ同じことがあるか分からないと言われる。
ICDを入れることのメリットとデメリットを天秤ではかって決める、というような単純な問題ではなかった。
当時まだ29歳だった我々には重すぎる決断を迫られ、あれほど苦しそうに悩む夫を見たのは初めてだった。
誰かに決めてもらえたらどれだけ楽か、と弱音を漏らしたこともあった。
時折人生の先輩たちにもアドバイスを求めた。人それぞれ「自分だったら」と想像して言ってくれるが、この決断の重さは当の本人にしか分からない。それでも誰かの意見を聞いて、納得できる答えを見つけたかった。
家族ぐるみで仲良くしてもらっていた上司は、「自分だけでなく周りの人のことを考えた上での判断を。」と言う。つまりは家族のことを思えば入れるだろう、という派。
私の両親は、夫本人が入れなくてもいいような気がしている、と言うと、ビックリして、どうかもう一度考え直してほしいと言ってきた。
夫の両親は、何も口を挟まず、夫の決心を待ち続けたが、本音は入れて欲しくない派だった。
私はというと、何も言えなかった。周囲の意見と自分の直感の狭間で苦しむ彼を見るのが辛かったし、彼の人生の大岐路で口を挟むなんておこがましくてできなかった。どちらになっても、彼の決断を受け入れる覚悟だけしておこうと思った。
2週間悩んだ末、夫は入れると決断した。
また海外にすぐ出たいと強く思っていた彼は、周囲の人に安心してもらうために、その選択をした。
ずっと彼の決断を黙って待ち続けていた夫の両親は、この選択にショックを受けた。
義父は「今は若いが、だんだん年をとるにつれて体力も落ちる、免疫も落ちる。手術に耐えられない体になる。それでもいいのか。」と落ち着いた口調で聞く。
義母はショックで何も言えず、二階の部屋にこもったまま、一日中降りてこなかった。
私は、彼の両親が、決断し終わるまで何も言わずに黙っていたこと、そして、彼の苦渋の決断に辛くて涙を流しながらも、静かに受け入れようとしてくれたこと、
そこに、義両親がしてきた子育ての真髄を見たような気がした。
一方、ずかずかと意見を挟んできた自分の両親がとても傲慢に思えて嫌だった。親心からのアドバイスだったとは思う。でもあなたたちは、彼の人生にどこまで責任をもてるのか? 決めて良いと言われながらも、意見すると横槍を入れられ、結局言う通りにさせられる、そんな環境で私は育ってきたのかととても悲しくなった。好きでもないのに無理やり着させられたフリフリの洋服、やりたくもないのに続けていた習い事、嫌な思い出が沸いて出て、一旦気持ちが収まるまで実家への足が遠のいた。
決断するとは自分の人生を自分の足で歩くこと
どちらが正しいのか誰にも分からない、でも選ばなければいけない。まだ30にもならない年で、こんな大きな覚悟をした彼は、その後、神かと思うほど優しく強い人に成長していった。仕事における判断のキレの良さは、カマキリのようだと言われた。
ある日、彼が何かの自己紹介でこんな風に話していたのを聞いた。
自分にもう一度与えられた時間を、この世の中をよくするために使いたい、より良い世界にしたい、という強い使命感がある。しかし、自分が生きている間にできることには限りがある。だからこそ、次世代を育てることも自分の中で大事な仕事の一つだと思っている。
自分の人生に責任をもって生きるとはこういうことなのかと、彼の生き様をみて私は多くを学ばせてもらっている。
決断できる人はどうやって育つのか?
夫の大きな決断以来、私も、子どもたちと接する時、どんな小さなことでも“自分で決めさせる”ことを意識するようになった。人は、歩きたい方向も、通りたい道も、着たい服も、注文する食べ物も飲み物も、時間の使い方も自分で決めたいのだ。
夫のように「決断できる人」が育つ環境について考えていた頃、義実家を訪れてピンときたものがあった。それは、それまで気にも留めなかった義母のいつもの質問だった。
「何か食べたいものある?」
義母は、夕飯の買い出し前になると、家にいる大人子どもみんなにこう聞いて回る。
こんな日常の小さな質問に、
あなたが決めていいんだよ
私はあなたの考えを尊重します、とすべてを受け入れるかのような懐の深さを感じた。
それまで勝手に私の気分で料理を作っていたが、毎日子どもたちに食べたいものを聞いている。子どもたちも、自分が何が食べたいか考えるようになった。(これとても大事!)
決断できる人は、どんな些細なことでも自分の意見が尊重される環境で育っていた。
自分の人生に責任をもち、自分の足で力強く前に進む。そんな風になりたいなら、子どもがそんな風に育ってほしいと願うなら、こんな簡単な質問から始めてみればいいかもしれない。
「今日何食べたい?」
尊重されて育った人は、より良い世界を作る
ちなみに、私の両親への思いは、時間はかかったが無事修復できた。結局は、私の気の持ちようだったんだ。
きっかけは、夫が転職を決めたときだった。転職が決まったと報告すると、納得いかないという様子で、私はまたため息が出た。しかし、とことん父娘で話し合ったあと、それが彼らの我々の先を案じるがゆえの親心だったと理解でき、受け入れることができた。話さなければ分からない。それが親子だ。夫が、両親との電話を切った後、「本当にいいご両親だよ。」と言ってくれたおかげだ。私の中に長い間あったわだかまりはふっと消えた。
夫の両親も私の両親も、子を思う親の気持ちは同じだ。ただ、その表現方法が各家庭で違っただけでどちらが良い悪いではなく、どちらもいい。どちらの家庭も子を思う愛で溢れている。
私は、夫の両親から、自分が受けてきたのとは別の愛を目にすることができた。その人が自分の人生に立ち向かえると信じ、その人なりのやり方に任せるのも、愛。自分の存在が危うくなるとか思わず、彼が学び成長するのを見守ることも愛。
こう思えるようになるまで、私はことあるごとに、自分が育ってきた環境と、夫が育ってきた環境を比べては、いろんなことを人のせいにしていた。
両親が育ててくれたことに心底感謝できたある日、自分が老いた父に寄り添って歩く夢を見た。そんな夢を見れたことがとても嬉しかった。(実際の父はまだまだ元気に一人で歩ける。) そして、小さかった頃の嬉しかった場面が次々と思い出されて、思い出が塗り替えられた。
私は、自分を肯定し尊重される経験を経て、自分を取り巻く世界の見え方、これまでの過去が変わった。
子どもにもより良い世界を作ってほしいと心から願っている。今、私が彼らにできることは、どんな小さな事も決断させ、肯定し、尊重すること。
そう決めた今の子育ては、ゆるく柔らかく温かい気持ちで満たされ、最高に楽しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?