子育てで大事なことはただ一つ

将来の心配、先が見えない不安に苛まされて、

心配だから準備する。心配だから我慢する。

漠然と、何かあったときのために、という不確かな備え。

この準備、やってもやっても終わらない。いつまでたっても安心できない。

家族の健康が心配だから、子どもの将来が心配だから、まともな大人になれるように、大人になってお金に困らないように、あれしてこれして、あれ食べてこれ食べて。

“将来のための準備“という名の元の、“ただの押し付け”。

たちの悪い保険屋か。

私はある日、全部、自分の不安を軽減するためにやってただけだと気がついた。結局は自分が悲しみたくないから、やっていたことだった。気づかせてくれた家族に心から感謝した。

その途端、今を最高に楽しめるようになった。

子どもの作ってくれた、油多めなペペロンチーノもありがたかったし、子どもにどんどん今できる”無駄“を推奨するようになった。

自分も寄り道が楽しくてしかたなくなった。小さな頃のワクワクを思い出した。


人生を豊かにするものは、寄り道に詰まってる。

小学校の通学路を思い出す。私は通学路やぶりの常習犯だった。あっちの道が気になったからというわけではない。ただ、みんなと同じ決まった道を毎日歩かされるのが、つまらなかった。何も考えずにいつもの道を歩く、というか歩けるみんなが不思議でしかたなかった。

日本では、規定ではない道を通ろうものなら、風紀委員的な子に学級会でつまみ上げられる。

アホか。

子どもたち、どんどん寄り道しよう。人とは違う風景を見よう。ワクワクしよう!

日本の教育の良くないところ、いつになったら直るんだろう。子どもの頃からずっとおかしいと思っていた。

だから私は、日本の教育を変えてやる!と大きな野望をもって幼稚園に就職したんだった。

もちろん、教育の原点は家庭にあり、という明白な事実には気付いていたのだけれど、結婚もしていない当時22歳の自分が踏み出せる、最初の教育現場は幼稚園しかなかった。

しかし、雑用としか思えない雑用に日々追われ、熱い野望はどこへやら。結婚するまでの3年働いただけの、ぺえぺえな私には何一つ変えられないまま。ちょっとユニークで大胆な先生として、子どもたちの記憶に残ってくれてたらいいなあと願っている。

人は、大人になる過程で、ルールだとか誰かの価値観だとか、多くの要らない服を纏わされ、いつのまにか着膨れ状態。

その状態のままでお母さんになると、お母さんはこうあるべきもの、子どもはこうあるべきもの、に則って子育てしてしまう。育てられた子どもも、その価値観を纏うことになる。無限ループ♾。

この服、脱ぐのにほんと時間と労力かかるんだよね。

子育てする大人が気を付けなきゃいけないことは、ただ一つ。

子どもに押し付けない。

着膨れした大人は、子どもの心配する前に、まず自分の服を脱ごう。もう脱げない、になるまで脱ごう。脱いで脱いで核心見えるまで。

今思うと、一番手がかかると感じていた長男は、私が纏ったいらない服を、懸命に剥がしにかかってくれてたんだろう。感謝しかない。

自分や家族と向き合う時間がすべての人に与えられた今、脱いで脱いで脱ぎまくるのに、又とないチャンスだ。私もまだまだ脱ぐつもり!

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