ファシリテーターとグラフィックレコーダーの協働に勿体無さと可能性を感じている話(前編)
ここ数年、グラフィックレコーダー・グラフィックファシリテーターの方と一緒の現場に入ることが増えました。
自分が提案するプログラムの中にグラフィックレコーディングを込みで設計し、受注できたら私からグラフィックレコーダーの方に依頼をさせていただくこともありますし、依頼された仕事で私がファシリテーターとしてアサインされていて、別の人がグラフィックレコーダーとしてアサインされていたということも。
ファシリテーターもグラフィックレコーダーも比較的新しい仕事なので、連携の可能性って未知数で、だからこその面白さもあると思っています。
私もまだまだ探求中の段階ではありますが、これまでの現場で感じたこと、自分はこんな風な協働の仕方が理想!というのを今回は書いてみたいと思います。
*書いていたら長くなったので、この記事ではこんなケースはもったいない!と思っているところを書き、次回の記事で連携のためにはこんな風にしたら良いのでは?を書いてみたいと思います。
こんなケースはもったいない...その1.
グラフィックレコーダーは呼べば何か書いてくれるからアサインしとこう
これは、企画・主催する人、またはファシリテーターの責任だと思うのですが、「グラフィックレコーディングって映えるからとりあえず呼ぼう」ってしてしまうケース。私も過去にとある案件のプログラム設計と当日のファシリテーションを依頼されたケースで、アサインされた段階でグラフィックレコーダーがいたことがありました。(=プログラムの設計が任されてるはずだけど、グラレコは使ってねと決まってる)
グラフィックレコーディングは「何のために使うのか?」(=どう活かされるのか?) が最も大切なはずなのですが、使うことが目的になっているケースも結構あります。
例えば、公開イベントのSNSなどの拡散を狙うためならそれでも良いかもしれませんが、グラフィックレコーディングを「『何のために使うのか?どんな風にその後活かしたいと思っているのか?』を事前にファシリテーターと一緒に話せたらもっと良い連携ができるはずなんだけどなぁ...」と思うことが良くありました。
こんなケースはもったいない...その2.
グラフィックレコーディングはこういうものという理解が違いすぎる
ファシリテーターがグラフィックレコーディングは話し合いが「きれいに可視化されるもの」だと勝手に思い込んでいるケースもありますし、グラフィックレコーダーが「このシーンではこうやって使われるべき」と思い込んでいるケースもあります。
例えば、話し合いを深めるという目的でお願いしたいときには、あまりきれいに絵を描かずに、言葉のキーワードを本人が話した言葉と変えずに書いてくれる人が私の理想なのですが、綺麗なグラフィックを描くことにこだわりを持つ人もいるので、なるべくスタイルが近い方と組めるようにしたいなと思っていたり。
逆にカンファレンスのキーノートスピーチを描く、などは比較的綺麗に書いて欲しいので、絵のスタイルを見させていただいたり、どのように聴いているかをグラフィックレコーダーの方に確認しています。
ファシリテーターもスタイルが千差万別なのと同じようにグラフィックレコーダーもスタイルが人によって全然違うなと感じていて、人によって、コンテンツを書く傾向が高い、感情的な見えづらいことを描くことを価値としている、ポジティブな表現にしたがる、美しくまとめるのにこだわる、方など様々。
まず、ファシリテーターが依頼する側の場合は、何のための場なのか目的によって選ぶグラフィックレコーディングのスタイル・使い方が変わるはずなので、設計にあったタイプの方(か書き分けられる凄腕の方)に依頼をする必要がありますし、グラフィックレコーダーの方を理解する必要があります。
逆に、グラフィックレコーダーの方は自分のスタイル(どの辺を聴いているか?どんなところを描く傾向が高いか? 見目にこだわりがどれくらいあるか?など ) を伝てもらえる方だと私は有り難いです。
「場に合わせて描きます」
だとかなりの経験者の場合を除いて、大抵良い結果にならないです。(=その場を設計した人の思惑に沿っているものになるとは限らない)
こんなケースはもったいない...その3. グラフィックレコーダーの存在と「描く」ことの影響力をレコーダーもファシリテーターも理解していない
これは私のこだわりの可能性もありますが、グラフィックレコーダーとファシリテーターは共に場を作る良きパートナーだと思っています。なので、(稀にですが) ファシリテーターのサブの気持ちで現場に来られると、私自身は「うーん...」と感じます。
ファシリテーターを尊重してくれている...と無理やり前向きに思えなくもないですが、例えば、ずーっと後ろを向いて書いている、自分が描く時間以外は会場の裏にいるとかです。
私自身は、ときにグラフィックレコーダーの方から、描いてみて見えたことを伝えてくれるなどしてもらって一緒に進めるのが好みなのですが...。でもこれはおそらくファシリテーターのスタイルによるものですね。
また「描く」ということはその場に影響があるということをしっかり理解しておくということも大切だと思っています。
先ほど、私がファシリテーターの場ではあまり綺麗に描かないグラフィックレコーダーの方が良いと書いたのですが、それは綺麗に描くと描かれたものが参加者のものというよりレコーダーの作品に寄りがちになり、その場にいる人が、書き足して話す余地が無くなるからです。(ちなみに私がファシリテーターとして関わる場はほとんど話し合いの場なので、話し合いを深めるためにグラフィックレコーディングを使っているという前提)
当たり前ですが、全てを残すことはできませんので、グラフィックレコーディングは話された内容の全てではありません。描かれたものの影響を受けて、次の話し合いが進んだり、進まなかったりするということをちゃんと理解して場を作っていく必要があります。
ここまでの3つ
・グラフィックレコーダーは呼べば何か書いてくれるからアサインしとこう
・グラフィックレコーディングはこういうものという理解が違いすぎる
・グラフィックレコーダーの存在と「描く」ことの影響力をレコーダーもファシリテーターも理解していない
が私が「せっかく現場に一緒に入るのにもったいない」と感じる場面でした。次回の記事では、より協働するためにお互いにどんなところを気にしたら良くなりそうか?ということを書いてみたいと思います。