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小沢健二 @iamOzawaKenji のツイートがなぜ問題なのか: 正確に伝える必要があること

先日の小沢健二のツイートについて、140文字では書ききれないので、改めてその問題点をここで説明したいと思う。発端は7月26日のこのツイートだった。

このツイートを見た私は、このようなリアクションをツイートした。

まあ見てお分かりの通り、めちゃくちゃ腹が立った。私以外にも、このツイートに腹を立てた、あるいは問題視した人が大勢いて、いわゆるツイッター上の「炎上」という状態を招いた。

自分のこのツイートについて、一つ訂正したいのは、「終了〜❌」と書いたことだ。これはいわゆる、今「キャンセル・カルチャー」と呼ばれるものの典型であり、一つの発言や投稿だけを取り上げて相手を全否定するのは良くない(ただし、私はキャンセル・カルチャーの意義を全否定はしない)。「終了」という言葉はその後の学びや修正の可能性を否定してしまう物言いであり、これは批判ではなく全面否定を意味するので、ここでは不適切であった。この部分は撤回したい。「終了」することなく、修正してくれるのならその方がいいし、本当はそうして欲しい。

私は小沢氏ほど有名人ではないので、自分が何者かを先に述べておく。音楽(及びその周辺のサブカルチャー)を専門とするライター、英和の通訳、翻訳を気がつけば20年近くやってきている(今はアーティストのマネージャーやブッキング・エージェントもやっている)。音楽の中でもヒップホップやディスコ、テクノ、ハウスなどのブラック・ミュージックをずっと聴いて、関わってきた。過去約11年間はベルリンに住んでおり、十代の7年間をオーストラリアで過ごした。いわゆるバイリンガルというやつで(残念ながらトリリンガルにはまだなっていない...)、このスキルを生かして、広く言えば日本と海外の音楽シーンの橋渡し、アーティストとリスナー間のコミュニケーションをサポートし、相互理解を深めるための色々な仕事をしてきた。

バイリンガルで海外生活が長く音楽に関わってきたという、小沢氏とは共通項もある。彼が海外で得た経験や知識を日本のファンや友人に教えてあげたいと、色々と情報発信する気持ちは分かるし、その点では私の動機も同じである。だが、私は小沢氏のファンだったことはないし、彼の音楽はほとんど聴いていない。彼が具体的にどのような情報をどのように発信してるかは気にしたことがなかった。

私はブラック・ミュージック(だけではないが)のファンなので、仕事やプライベートを通して多くの黒人アーティストや音楽関係者との交流がある。ここ約2ヶ月も様々な意見を交換してきた。取材などを通して、直接黒人アーティストや音楽関係者の人種差別問題にまつわる発言は繰り返し聞いてきたし、それを通訳や翻訳し日本語で日本の読者や視聴者に伝える努力をしてきた。しかし私は人種差別問題の専門家ではないし、私が情報を発信する相手は主に音楽ファンや関係者だ。だからこそ、学問的なバックグラウンドや、これらの問題について基礎知識のない人にもなるべく正確に、分かりやすく伝えることをずっと意識してきたし、その努力をしてきたつもりだ。

正確に伝えるということ

この小沢氏の発端のツイートに対し、なぜ自分はここまで腹が立つのかよく考えてみた。そして現時点で出た答えは:

世の中には正確に伝える必要性と責任のある事柄がある

ということだ。#BlackLivesMatter (以下BLM)は、言わずもがなその最たる例。「Lives」、まさに人の生死に関わり、実際に多くの人の命が今も尚犠牲になっている黒人の人種差別という事柄を扱うならば、その重大さを認識しているならば、伝え方には細心の注意を払い、誤解や間違いがないよう、また誤読されないよう努力しなければならない。それを何万人もの人が見ることが分かっているならなおさらであるし、それを読む人にあまり予備知識がないと分かっているならさらにである。

細心の注意を払って正確に伝える努力をするということはどういうことか?同じ題材であるBLMについての、創始者の一人のインタビュー記事を見て頂きたい:

全部読んでいただければ尚いいが、特に注目して頂きたいのは「訳者まえがき」の部分である。ここには、日本ではまだ浸透していない、和訳された前例が少ない「abolitionism」という語(概念)の訳し方の難しさや、インタビュー本文を読んだだけでは理解できないであろう背景についての補足説明がある。さらに、記事の公開後に指摘のあった部分を後日訂正したこと、また引き続き指摘や意見を求めているとも書かれている。

これが、重大かつ深刻な題材を扱うことの責任を認識している人の伝え方だ。私はこの記事を読んだ時、本文さながらに、「訳者まえがき」の部分に感動してしまった。誠意が伝わるからだ。私も翻訳をやっているからということもあるだろうが、これだけ思い悩み、複数の意見を聞き、解釈や表現を間違う危険性を認識しながらも、それでもこの内容は伝えるべきであるという訳者と出版社の方の信念と使命感が、この「まえがき」には表れている。

このことを踏まえて、先の"「わざと怒らせる」手法"と題された(目的はNHKの番組を見るよう促す)小沢健二のツイート(に貼られた文章の画像)を見てみるとどうか。

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これは"「わざと怒らせる」手法"と題されているので、その手法が主題である。その手法のことを「トローリング」と呼び、事例として BLMに触れている。この文章のタイトルと書き出しから明らかなのは、彼が「トローリング」とは何かを知らない、よく理解していない人に向けて書いているということだ。要するに彼は新しい言葉・概念を紹介している。それを、彼は「わざと怒らせる」手法と説明する。トローリングという言葉(の意味)を知らなかったフォロワーは、"「わざと怒らせる」手法"なんだなと理解し、知識としてインプットする。(実際に元ツイートや小沢氏のインスタグラムの投稿を見れば、多くのフォロワーが「勉強になりました!」と感謝のコメントを寄せているのを見ることができる。)

実際に日本で「トロール」や「トローリング」という言葉がインターネット文化に詳しい層以外にどれほど浸透しているのか私には分からないが、英語圏ではほぼ誰でも知っているし意味を理解している。元来の「troll」という動詞の意味は「釣る」だが、ここで小沢氏が取り上げているのは近年のインターネット・スラングとしての「トローリング」である。以下はオックスフォード辞典の、その定義だ:

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「相手を傷つけたり怒らせたりすることを目的として、意図的に侮辱する・不快感を与える、または挑発するオンライン投稿をすること」(動詞)またはそれをする人(名詞)

とある。現在は投稿に限らず、インターネット上の行為全般に適用されると私は認識している。小沢氏の定義の「わざと怒らせる」という部分は間違っていないが、辞書の定義には、「手法」に当てはまる語はない。ツイートする際にいちいち辞書の定義を確認する人は少ないから、この程度の誤差は仕方ないと思うが、あくまで「行為」を指しているという点には留意すべきだ。手法というのは何かを作ったり達成したりする際の方法や技巧のこと。対してトローリングという行為が常に意図するのは、相手に不快な思いをさせることだ。定義を読めば明らかで、小沢氏自身も「下品」と形容している通り、不愉快な行為であり、ネガティブな言葉だ

間違い① トローリングの意味

意図的にか結果的にかは知らないが、小沢氏のこのツイートが多くの人を激怒させることになった(トローリングすることになった)のは、BLMという極めて深刻な事柄を、「トローリング」の一例として持ち出したからだ。トローリングの意味を理解し、BLM運動に共感・連帯している人ほど、「あり得ない!」という反応を示した。「BLM = トローリング」と述べているわけではないことは分かっているが、引き合しているだけで侮辱であり、小沢氏がBLMに連帯・支持しているようには到底思えない発言なのである

米在住の翻訳家の押野素子さんがこのツイートを受けて、米黒人ですら似たような解釈をしている人がいる、でもそれは誤解で、BLMスローガンの由来を説明すると、それが誤解であったことを理解してくれると書いている(全スレッド参照推奨)。

トローリングが手法や機能ではなく行為である以上、相手を不快にすることを目的としていないBLMには当てはめられないし、当てはめるべきではない。BLMに「トローリングの機能がある」と言うことは、「BLMに(相手を不快にさせる意図を持った)トローリング行為の側面がある」と言っているに等しいからだ。

BLMというスローガンに、(黒人ではない者に)疑問符を投げかける、あるいは違和感を持たせる側面もある、という考察であれば(おそらくそれが小沢氏の伝えたかったことだろうが)私も同意できる。それはスローガンを考案した者の意図ではないが、結果的にそういう効果があり、より関心を引きつける作用があった、とは言えると思う。でもそのことが伝えたかったのなら、トローリングという言葉選びは不適切であり、間違いだ

もし小沢氏が「わざと怒らせる」手法の実践としてこれをツイートしたのであれば、実際に多くの人を激怒させたので大成功だが、ただそのネタとしてBLMを使ったことになるから、到底運動を支援している人、問題の重要性を伝えたい人のやることではない。だから多くの人が、「どういうスタンスでこのような発言(ツイート)をしているのか?」と疑問を持った。BLMの重要性を伝えたいなら、問題意識を本当に喚起したいのなら、別の言い方がいくらでもある。そして、表現が不適切であるという多くの批判を真摯に受け止めるはずだ

小沢氏は翌日、批判に対する弁明として、「言葉の意味は変わる」とする以下のツイートをした。トロールという言葉の意味が、「やばい」という言葉の意味が変わったのと同じように、今はポジティブな意味でも使われるようになったという内容だ。

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言葉の意味が時代と共に変化するという点については異論はない。否定的な意味で使われてきた言葉が褒め言葉に変わこともある。だから「やばい」については(小沢氏のエッセイは読んでいないが)その通りだと思う。

だが、ここで小沢氏は、「やばい」になぞらえて、「トロール」という言葉もポジティブな意味合いを含む褒め言葉に変化しているのだ(=だから、BLMに対しても同じポジティブな意味で使っているので、この言葉を用いたことに怒るのは筋違いだ)と言っている。しかも、これはトロールという言葉の意味、英語の知識があまりないであろう読者を想定して書かれていることは文面から分かる。彼はその事例として、トランプ大統領のタルサで先日開催された選挙集会での出来事を挙げている。

この出来事は簡単に説明すると、SNS(TikTok)でつながるKポップ・ファンの若者たちのコミュニティが、集会の座席を大量に予約。ものすごい人数が集まるとメディアにも公言していたトランプ陣営が、当日蓋を開けてみたら空予約(トロール行為)ばかりで会場はガラガラで恥をかいた、というものだ。(しかもタルサという開催地は、かつて人種差別による黒人の虐殺が行われた地で、BLM運動が激化する中、この地でトランプの集会が開かれることには象徴的な意味があった。)

実際にKポップ・ファンがどれほど関与していたかは不明だが、今の時代ならではの出来事であり、また無関心と思われていた若者たちが政治の現場に参加してきたことが、アクティビストや今や大多数を占めるようになった反トランプ派を喜ばせ、大きく報道された。私も反トランプなので、まさに奴にギャフンと言わせた痛快な出来事だと思った。

しかし裏を返せば、トランプ陣営側にとっては実に不愉快な出来事であり、怒り心頭だったに違いない。インターネット・トロールに集会を台無しにされたのだから。つまり、トロールという言葉の意味、それが指す行為そのものの性質は現時点では変化していない。大勢が侮辱したいと思っていた相手を侮辱しただけである。「それってトロールだね♪」なんて褒め言葉として使われているわけではない(少なくとも私は知らないので、事例があるなら示して欲しい)。トロールという行為を、政治的な目的を達成するために利用することもできる、ということが一般のニュースにも取り上げられるほどになった、というだけだ。

トロールの政治利用そのものは新しくない。例えば「ハクティビズム」集団のアノニマスが、ずっとやってきたことだ。彼らの是非をここで議論するつもりはないが、彼らのトロールによる活動を正しい、または痛快だと応援する人もいる一方で、標的にされた方は散々な目に逢う。企業や政府のシステムをハッキングしたりするので、明確な犯罪行為も含まれている。アノニマスという名称が示す通り、トロールを仕掛ける方はほとんどの場合が匿名である(その身元を突き止められ、実際に逮捕されているメンバーも多数いる)。

BLMの活動家たちはそうではない。創始者も身元を明かしてやっている。抗議運動に参加している人の中には、逮捕や追跡を恐れて顔を隠している人もいるだろうが、デモの様子を見ても分かるように、そうではない人がほとんどだ。政府がテロ部隊や軍隊までをも動員してくる中で、身分を隠さずに抗議運動に参加することには多大なリスクが伴う。これまで、アメリカの歴史上の黒人解放運動の指導者たちがどういう運命を辿ったかを思い出してみればよい。先日、アップステート・ニューヨーク出身の友人が、彼が十代前半で初めて(平和的)デモに参加した時、行進ルート沿いのビルの屋上に複数の狙撃手が配置されているのを見て、恐怖を感じたと話していた。アメリカはそういうところだ。それでも立ち上がらなければならない、声を上げなければならないと決死の覚悟で臨んでいるのがアメリカのBLMプロテスターたちなのだ。

この命がけの抗議運動と、「トロール」を、どうしたら並列して語ることができるのか!?スローガンの言葉(字面)だけを見ていて、路上で何が起こっているか見ていないのではないかと思わざるをえない。

このように、言葉を大切にしていると自負する小沢氏の、はっきり言わせてもらえばテキトーな我流解釈を15万人のフォロワーに「教えている」一連のツイートは、日頃から差別問題に真剣に取り組んでいる研究者やアクティヴィスト、言葉を正確に伝えることに骨を折っている翻訳者やジャーナリストからしてみてば、冒涜でしかない。彼らがこれを見て激怒し、辛辣な批判をしたのはそういう理由からだ。これまで多くの人たちが正しく理解し、伝えようと積み上げてきた努力を踏みにじる、悪質な行為である。

間違い② オール・ライヴズ・マターは「ツッコミ」ではない

小沢氏がBLMに対する「ツッコミ」だとして度々引き合いに出している #AllLivesMatter (以下ALM)についても「ツッコミ」たい。

ALMは確かにBLMへのリアクションとして出てきたスローガンだが、これを唱えている人には三種類いる。

1)差別に加担したくないが、BLMの由来や意図を理解しておらず、「黒人だけでなく、すべての人種(人類)の命は大切ではないか?」と疑問を持つ人

2)BLM運動に反発し、ALMという(一見普遍的なメッセージのような)スローガンでBLMを押し殺そうとする人

3)そもそも社会問題に関心がない、ニュースを見ない、などの全く無知の人

である。1)の人は、人種差別はしたくないと思っている、もしくは黒人ではないが自分も差別を受けている人たちで、この人たちは一度BLMの意味を理解すると、「そういう意味があったのか、では私もBLMを応援します」となる場合が多い。完全に納得していなくても、「ALMは言ってはいけないんだな」というところまでは理解する。ミネアポリスの事件から2ヶ月以上経過した今、このような人たちは現在ALMを唱えていない。

2)の人たちは、いわゆるレイシストである。白人至上主義者や、白人でなくとも黒人差別の現状を認めない、または黒人の訴えに共感しない人たちだ。今現在もALMを声高に主張する人は、レイシストだと思ってまず間違いない。

3)の無関心・無知の人は残念ながらどんな社会にもいる。この人たちはこの問題について考えたり知ろうとしたこともないので、どのような情報を受け取るかで1)にも2)にもなり得る。

つまり、小沢氏が「BLMに怒って"オール・ライヴズ・マターだろ!"とツッコミを入れる白人」と度々書いている人たちは2)だ。そもそもBLMのスローガンを聞いて、「怒る」という反応をする人は、その時点で黒人を抑圧している側、または現在の社会構造に問題はないと信じている人間である。

小沢氏は「わざと怒らせる手法」ツイート(に掲載された画像の文章)の中で、

黒人の運動家たちが言いたいのは、本当はもちろんオール・ライヴズ・マターなのです。

と断言している。これも間違い。ALMは、BLMに対抗するレイシストのスローガンだ。この理解はまだ日本では浸透していないかもしれないが、英語圏では常識になっている。SNSで #AllLivesMatter で投稿を検索してみれば、それがよく分かるはずだ。繰り返すが、ALMスローガンを主張・投稿している人は、レイシストか全く無知の人だ(この時点で全くの無知であることはすでに罪である)。BLMを支持する人は、絶対に言ってはいけない。これを、まるで「本当のメッセージ」として肯定するかのような書き方で紹介するのは不適切であり、深刻な誤解を生む危険性がある。つまり、3)の人たちに2)と同じ主張をさせてしまう、差別スローガンを広めてしまう可能性がある。

BLMに怒っている人は、今も怒りっぱなしだ。そしてそれは白人だけではない(ジョージ・フロイドを殺害した警官ショーヴィンと共にいた警官の一人はアジア系だった)。何とかしてこの運動を無効なものにしようと躍起になっている。トランプ大統領が最も分かりやすい例だろう。必死で「アンティファ」だとか見当違いな仮想敵像を作って、抗議運動を武力で鎮圧しようとしている。その攻防は、今も続いている。

レイシストを怒らせツッコミを引き出したから、黒人に「スクール」されて彼らが改心したから、BLM運動が支持を集め大きなうねりになったのではない。(ここでまた日本人には馴染みのない新たなカタカナ語を導入し、よく理解されていないスローガンを日本ではほぼ使われないカタカナ語で説明しようとしているところにも言葉選びの誠意が感じられない。)これまで声を上げてこなかった人種差別の被害者や、1)のような黒人差別問題に特別関心を抱いたことのなかった人たちがBLMの主張に共感・連帯し、アメリカ史上最大とも言われる数の人たちが全国規模で連日路上の抗議運動に物理的に参加し、また日常においてもこれまでの言動や社会の仕組みを見直さなければならないと認識を変えたからだ

小沢氏はアメリカ先住民についても「弁明ツイート」で触れているが、この文章も不可解で、黒人が白人(至上主義者)にこれについて何を「スクール」したのか不明である。実際は、BLMにはアメリカ先住民や、アジア系、ヒスパニック系などの差別抗議運動が連帯しており、アメリカのみならず、パレスチナ解放運動などとも密接に連動している。BLMは、今ではあらゆる人種差別を撤廃するための運動として世界中に広がっている

小沢氏の説明を読んで受ける印象は、BLM運動を白人対黒人という二項対立で捉えている節があることで、これも間違いである。BLMは「悪い白人(至上主義者)をやっつける」運動ではない。アメリカやヨーロッパにおけるBLM運動の最大の敵が白人至上主義であることに違いはないが、彼らだけをどうにかすればいいという話ではない。BLM運動が目指しているのは、長年かけて白人優位に、黒人を抑圧するように築き上げられてきた社会の仕組み全体を解体・廃絶することであり、このスローガンそれに参加することを(人種問わず)社会の構成員すべてに訴えている。だから白人中心的社会ではない日本などの国でも、より多くの人が同じ社会の構成員として当事者意識を持ち、BLMに連帯する意味がある。だからこそ、BLMの訴えを正確に理解し、どのような変化が起こっているのかを正確に知ることは、日本人(特に日本語しか読まない人)にとって極めて重要なことなのだ。

間違い③:racismの訳語としての人種主義

小沢氏は最初のツイートの「批判の方」に対し、文脈を踏まえるようにと、このようなツイートをした:

これで一番注目されたのが「Racismの訳語は人種差別ではなく人種主義」と断言するツイートで、小沢氏によればracismの訳語としての「人種差別」は不適切であり使用すべきではないという。それの実践として「翻訳バトルロイヤル」という企画を実行し、「差別」という訳を一切使わない翻訳記事の編集をして一般媒体に掲載までしている:

これも当然ギョッとしたのだが、この「翻訳問題」については翻訳者のカツミタカヒロさんが、実に詳細に解説してくださっているので、私からは追記しない。カツミさんの最初の「滅茶苦茶です!」というツイートも、正確に伝える誠意がないことへの怒りだと分かるし、この丁寧な解説を読んでも、いかにプロの翻訳者が原文を正確に伝えようと日々努力されているかが伝わる。

私は小沢氏をレイシストだとは全く思っていないし、小沢氏よりもずっと露骨にブラック・ミュージックの恩恵を受けて活動している日本の音楽家の多く(むしろ大多数)が、BLMに言及すらしていないのと比較すれば、自身の影響力を使って自分のファンにもこの問題について考えるよう促していることは評価する。深刻なトピックを、なんとかとっつきやすい表現にして敷居を下げようという工夫をしているのだろうとは思う。

だが、このような伝え方は誰に何を伝えるのか?人種差別の被害に遭い辛い思いをしている人が食べかけみたいな玉子寿司の図を見たらどう思うのか?

これはよほど無神経か、この日本語ツイートを読む彼のフォロワーには人種差別を受けている人はいないと想定しているとしか思えない。だとしたら、小沢氏は本当にracismがどういうものか理解しているのだろうかと疑問を持たざるを得ない。

問題なのは小沢氏のツイッター・アカウントには15万人、インスタグラムには5万人のフォロワーがいる。伝えたいという気持ちに悪意はなくても、そこに正確さを欠いては台無しなのであるここまで間違いだらけでは、これらのツイートはほぼフェイク・ニュースである。フェイク・ニュースを垂れ流すくらいなら、流さない方がマシ。正確に伝えている人の記事なりツイートなりにフォロワーを誘導すべきである。

これは、ミュージシャンだから社会問題に口を出すなという意味では決してない。むしろ個人的にはもっとガンガン発信して欲しいと思う。ただ、人の命に関わる情報は、こちらも命をかけて正確に伝えなければならない。そして自分の流す情報の影響力に自覚的でなければならない。でないと、些細な誤解やミスが有害な誤解を招き、当事者の命取りになるかもしれないからだ。差別問題の深刻さを本当に理解しているなら、そう認識していなければおかしい。そう認識できないのであればせめて発信を控えるべきだ。最大限の努力をしても、それでも人間は間違うし勘違いをする。誰でも盲点(blind spot)というのがあり、自分だけでは絶対に気づけないこと、違う立場の人や第三者に指摘してもらわなければ気づけないことがある。だから繰り返し指摘や批判を受けて、修正していくしか正確さを追求する方法はない

「批判の人」に対するファン(擁護派)からの批判への反論

以上を踏まえて、私やその他の小沢批判ツイートに寄せられた批判への反論を付け加えておく。

・誤読(読解力・日本語力・国語力)

最も多かった擁護派からの批判は、「小沢氏が伝えようとしていることを理解していない」、「誤解している」として、批判者の読解力や国語力を疑問視する類であった。

小沢氏の文章の書き方は、普段それに触れていない者にとっては非常に分かりにくいが、高度な日本語の読解力を要するものではない。仮に批判者が彼のツイートを誤読したとしても、それは誤解を招くような書き方をしている方が悪いのであって、誤読をした方ではない。伝え方の落ち度である。誤解されたくなければ、発信する方が誤解の余地を最小限にする伝え方をすべきなのだ。

・文脈

もうひとつの、やや驚くべき批判は、「文脈を踏まえろ」の類。中には「彼が過去10年間やってきたことを知りもしないでーツイートを批判するな」というものもあった。仮に小沢氏が熱心な「反人種主義」啓蒙家だったとしても、これまでどんな素晴らしい文章を書いてきたとしても、現在の彼の発言や文章に不適切な表現や間違いの部分があれば、それは批判されて当然である

しかも小沢氏は丁寧にも(ツイートするには)長めの文章をわざわざ画像にして1ツイートに収めている。一連の関連ツイートをスレッドにもしていない。であれば、1ツイートで完結する情報を発信していると解釈するのが妥当だ。さらに、小沢氏が文脈を汲み取るように、と自ら示したツイートは全て目を通したし、何度も読んだ。ついでに他のツイートもいくつか目を通した。それでもおかしいからおかしいと言っている。それ以上の文脈を踏まえろと言うあなたは、では私や、批判を寄せた翻訳者や学者の手がけた仕事を10年遡って目を通した上で私たちの発言を否定しているのか?と問いたい。

真剣に批判している人には、その人の文脈がある。それを理解しようともせずただ否定することは、私の文脈から言えば「正確に伝える必要性と責任」であり、それを否定することだ。

度々「炎上」を起こしているのであれば、ツイッターという字数の限られたプラットフォーム上では誤解が生じやすいこと、伝わることの限界もそろそろ認識すべきである。

最後に

その人が誠意を持って重要な情報を正しく伝えようとしているか否か、簡単に見分ける方法がある。批判を受けた時の対応だ

情報を正しく理解してもらうことを目的とし、そのための努力をする人は、不適切であるとか間違っているといった批判を受けた際、もしくは疑問を呈された際にそれを真摯に受け止め、(再)検証し、修正する。自分の間違いが深刻であった場合には、謝罪もする。

それをしない人は、学ばないし同じ間違いを繰り返す。何の目的で不正確な情報を流し続けているのか疑問を持たれても仕方がないのである。

ここまでまとめたところで、私には言葉にしきれていなかったことを的確にツイートをされた方がいた(全スレッド参照推奨):

差別の根源は誤解と偏見だ。

このことはライター/翻訳者の端くれとして私もしっかり心に留め続けておきたい。私は小沢氏に差別問題や社会問題に関わらないで欲しいとまでは言わない。ただ猛省はしてもらいたい。

これほどのフォロワーと影響力がある人が、しっかりと理解をする努力をし、誠意を持って正確な情報を発信してくれたらどれほど世界は変わるだろう。それをすでに実践しているミュージシャンも世の中にはたくさんいる。メディアもそれをきちんと見極めてから伝え、ファンもただ音楽が好きだからとその人の発言までをも鵜呑みにせず、クリティカル(批判的)な目を持って受け取れるようになれば、きっと皆にとって良い方向に動いていく。私はそう信じている。

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