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『ZEROISM』18

【ルッキズム】

カバーイラスト 藤沢奈緒



「モンドクラッセのエグゼクティブフロアに入った」
高洲響子がそう呟くと、彼女が耳にはめているイアフォンから、
「よく入れたな」
と、外川の声がした。
「秒で部屋を予約した。一緒に寝てくれるの?」
「俺と? 嫌いな男で濡れるのか」
「消去法であんたしかいない。わたしを狙っているZEROISMの懐に潜り込ませて、夜、一人にさせる気?」
「藤原を行かせる。田原は誰といる?」
高洲が窓際のソファ席に座っている田原誠一郎を見た。
「知らないおばさん。こういう危険なことは桁元に頼めば? わたしのボディガードもできるし」
「彼は肋骨が折れてて動けない。他は全員、顔が知られている」
「よくそんな少人数で、奴らとケンカしてるね」
「少数精鋭だ。君を混ぜてね。高画質の動画で撮影して、静止画に変換。それを俺のスマホに送ってきてほしい」
YouTuberの高洲響子は高性能のアクションカメラを鞄に入れたまま、田原と初老の女の横を通り、女子トイレに入った。カメラからマイクロSDカードを取り出し、スマホに差し込み、動画から二人の顔が分かる部分を切り取る。それを外川に送った。
「動画で音声は録れているか」
「録れてるでしょ。PC上で聞けるようにする」
「仕事が出来る女だな」
「当たり前でしょ。今、あんた一人なの? そこの秘密基地で」
「いや、隣に女がいる。ずっと俺を睨んでいる」
「純菜?」
「杉浦南美だ」
「怖っ。わたしを早く解放して」
「女が誰か分かった。君はいったん部屋に入って、鍵をかけて藤原以外は入れるな。撮影した動画から音声を拾っておいてほしい」
高洲響子はトイレから出ると、怪しまれないようにいったん自分の席に座り、フリードリンクのカクテルを飲んでから部屋に向かった。エグゼクティブフロアから廊下に出ると、藤原秀一が近寄ってきた。
「久しぶりですね」
「あなたじゃ、心もとないんだけど」
「高級ホテルに人を殺すような奴は入ってきませんよ」
歩きながらそう言うと、
「さっき、二人もいたじゃん」
と高洲響子が笑った。
「ルッキズムって知ってる?」
高洲が部屋のドアを開けて、藤原に入るように首を動かした。
「人の見た目だけを重視すること」
藤原はバイセクシャルだが、どちらかと言うと男性の方を好むことを知っている高洲響子に躊躇はない。ダブルベッドがあるスイートルームに藤原と二人きりになった。
「あの二人、口元が笑ってるのに目が笑ってないんだもん。人を騙したり、貶めたり、時には殺したりするような人間の顔よ」
高洲響子はそう言うと、デスクの上のノートパソコンを開いた。

「厚労省の横水綾子事務次官補か」
正面に座っている杉浦竜則に言うと、
「厚労省なら、今回の事案に関与できる上に、キャリアの女ならフェミニストの可能性も高い。黒幕の一人みたいだな」
と神妙に言う。
「やっとたどり着いたね。架空の組織とか威張ってたのに、ボスはいるってこと」
南美がコーヒーを飲みながら、
「高洲響子のラブコールはどうでしたか、変態係長」
笑いながら睨んでいる。純菜は何事もない顔でほのかに笑っていた。
「あんな女と寝るくらいなら、デリヘルをここに呼ぶよ」
真顔で答えたら、
「良かった」
南美がほっとした顔で呟いた。ところが純菜が、
「デリヘルの例えは嫌だなあ。天才も落ちぶれたもんね」
と嫌悪感を剥き出しにした。それを見た杉浦が、
「こっちがああ言えば、あっちがこう言う。もてる男は大変だな」
と笑った。
「南美、世界を支配しているのは何者か分かるか」
外川が訊くと、
「うーん、アメリカの大統領かなあ」
と首を傾げながら答えた。
「それでよく公安に所属できたな。旦那は?」
南美の夫、杉浦に目を向けると、
「マスメディア。まあ、ロイターとかが世界を動かしているもんだ」
と言った。
「正解。ちゃんと南美を教育しておけって」
「妹のような女から女になる教育をしながら、妻になる教育もしていた時に、親友に寝取られた」
「……」
外川が口を閉ざすと、純菜が、「それを言われたらねえ」と苦笑いをした。気を取り直した外川が、
「ZEROISMはテレビやSNSを取り込んだ形がない組織。イエスがいないキリスト教のようなものだ」
と言う。
「あ、それ、分かりやすい!イエスがいないのにキリスト教は世界を覆いつくしてる」
純菜が声を上げた。
「数史さん、えらーい。デリヘルの例えは許す」
「ありがとう。さて、残る問題は一つだが、直接本人に訊くのは?」
外川が杉浦を見る。
「森長さん本人が知らなかったらどうする? パニックじゃすまない」
「だよな。純菜」
「はい」
純菜がスマホを取り出して、細い指で画面にタッチをした。
「えっと、森長朋美さん、つまり森長さんの奥さんは、森長さんと暮らしてます。主婦です。近所に買い物に行く以外に、変な場所には行ってません。息子の森長悠くん、二十八歳。ゲーマーでYouTuber。本名は使ってなくて、通称『太陽青年』。皆、『太陽さん』って呼んでいて都内の高級マンションにいます。若い成功者が集まるパーティーやイベントによく行くから、交遊関係をすべて把握するのは無理。あなたが、南部を射殺したからですよ」
語尾が強くなり、夫を睨んだ。
「ボスは殺し屋と直接、接触しない。南部が生きていても、誰に田原の護衛を頼まれたのかも、どうして田原の自宅に俺たちがいたのかも知らないから、口を割らせても意味がない。しかも、奴は俺たちには死んでも何も喋らない」
「ああ言えば、こう言う」
純菜が口を尖らせた。
「俺たちは警視庁の捨て駒じゃない」
杉浦が純菜を見た。睨んだようにも見え、
「あなた…」
南美が夫、杉浦竜則の肩に手を置いた。
「黒崎を殺さずに確保するよう上から指示されて、外川は黒崎を撃ち殺せたのにそれをせず、俺を助けて重体になった。しかも外川は部外者。あのまま死んでいたら殉職にもならなかった。俺は外川が倒れた瞬間にそれに気づき、警視庁を辞めてバリ島に行った。奇跡的に生還した外川も辞表を出して俺を捜しにバリに向かった。南美は鬱になり退職。俺たちの人生はZEROISMに狂わされたと同時に、警視庁、つまり国家権力にもやられた。後輩の外川を利用した上層部に腹をたてた森長さんが、純菜ちゃんを娘のように見てくれている織田警視総監に掛け合い、俺たちを警視庁に在籍させたまま解放してくれたんだ。俺たちは国家のためにテロリストと戦う義務はない。ZEROISMとの戦いは国のため、奴らに騙されてる国民のため、俺たちの笑顔のため…」
純菜が小さな手を動かし、杉浦の続く言葉を制した。そして、
「生きるため」
と言った。杉浦が頷き、
「凶悪犯が銃を抜いたら撃たれる前に射殺する。生きたまま確保なんかしていたら、命がいくつあっても足りない。この国は警察官や軍人らの死を軽く見ている。俺も外川も、テロリストを生け捕りにして、おまえたちは死ね、と言う警察庁、警視庁の捨て駒じゃない。表参道事件からの、俺と南美の地獄の四年間は取り戻せない。外川を表参道に行かせた純菜ちゃんの心の傷も消えない。生死を彷徨った外川の身体には後遺症がある。あの悲劇を繰り返さないために、俺たちは生きる事を最優先で動く」
純菜が黙って頷いてから、
「はい。ごめんなさい。わたし、杉浦さんの介護をする約束してたから、皆が長生きしないとね」
少しだけ笑い、
「本題に戻ります」
親友の話を黙って聞いていた夫、外川数史の顔を見た。ハッカーと遜色がない純菜が、PC画面に森長悠の顔写真を出して、
「森長さんの息子さんって発達障害の濡れ衣をZEROISMに着せられた子でしょ。だったら、逆にZEROISMに恨みがあるはずだから奥さんの方が怪しくない? そのことで、一回、森長さんと別れたんだっけ?」
と言う。すると南美が、
「一発屋のクソガキたちが集まるパーティーに出入りしてる息子の方が怪しいよ。お金があるからドラッグもできるだろうし、大人の悪い奴が紛れ込んでるって」
と嫌悪感を露わにして言った。
「ようこそ、おじさん、おばさんの世界へ」
外川がニヤニヤしながら言う。
「誰がおばさん?」
「今、二十八歳をクソガキって言った」
「……」
三十半ばの南美が体を固まらせたら、いつの間にか後ろに立っていた弥生が、
「うちの婿の口の悪さには勝てない。わたしも何度、泣かされたか」
と言い、溜め息を吐きながら、南美の肩を叩いた。

モンドクラッセ東京、805号室。
「ちょっと聞きづらいけど…」
イアフォンをした高洲と藤原が、パソコンの画面を神妙な面持ちで見ている。
画面には、エグゼクティブフロアでお酒を飲みながら、何かの打ち合わせをしている田原誠一郎と横水綾子が、高洲にアクションカメラで盗撮をされていて、その様子が映っている。
『森長…。妻の知り合いにも同じ名前の警察官がいる。だからか杉浦たちが気にしていた…』
そう聞こえた。
「森長って、わたしを殺そうとした男?」
藤原に顔を向けると、
「君はあの時、森長さんが溺愛している純菜ちゃんを利用して…。しかも猥褻な動画を使って、お金を稼ごうとした。当時ZEROISMだった君が憎い相手だった上に純菜ちゃんにまで手を出したら、森長さんがこっそり君を殺そうとする事なんか当たり前で、それが出来る男だから」
「警視庁は暗殺部隊なの?」
「警視庁にもいろいろあるんだよ」
「ま、外川ちゃんたちも尋常じゃないからね。…また誰かの名前が出てきた。奥原ゆう子? ああ、女優の」
『奥原ゆう子の熱狂的なファンで、『サイレント脳』の続編を楽しみにしている。森長が奥原ゆう子に会えるように、妻に頼んであるが見返りはない。杉浦たちから守ってくれたのはいいが、一歩間違えたら逮捕されてしまう』
田原誠一郎がそう、横水に説明していた。
『高洲響子に似てる女…』
ちょうど高洲響子がトイレに向かう所で、横水が彼女の背中を見て口にしていた。そして、
『森長に筒抜けなのね』
と言った。
動画はそこまでで音声も録音されていなかった。
「わたし? なんで、あのおばさんがわたしを?」
藤原がスマホを手にして、外川に通話をした。
「外川さん、こっちヤバくないですか」
「武器は?」
「注射器とメス、鉗子」
「あのおばさんは自分の手は汚さない。殺し屋がその部屋に来るのは明日の朝だ」
「だといいんだけど。高洲が泣きそうですよ」
「自業自得だろ。だから韓国にいろって言ったんだ。奴ら、森長としか言ってなかったか?」
外川がそう訊くと、
「フルネームで呼ばれるのは有名人だけですよ。僕だって、森長さんの本名は知らない」
と藤原が言う。
「奥原ゆう子のファンなら同年代の息子かな」
その時、高洲響子のパソコンにメールが入った。
「なにこれ、迷惑メール? じゃないな」
【高洲響子と外川数史へ】
苦笑いをした高洲響子がメールファイルをクリックしようとしたのを藤原が止めた。
「先に外川さんに」
藤原がスマホで高洲のパソコン画面を撮影し、外川に送る。
「PCのカメラにシールを貼れ」
外川に言われた高洲が、持っていたバンドエイドをカメラ部分に貼った。
「メールを開け」
外川の指示で高洲がメールを開いた。

【森長です。もう少しで私にたどり着きますね。だけど、私はあなたたちにもうたどり着いている。モンドクラッセにいるのは、高洲響子と藤原秀一。外川数史たちは、カフェ『菜の花』。心配しなくても『菜の花』は狙わない。棚橋夫妻のスマホには簡単にペアリングできた。あのカフェはデンジャラス。ロシアンマフィアから押収した武器がある。ヤバいドラッグも。それを持っている外川数史に、純菜のような美少女を嫁がせた親も親。毎晩、ドラッグで娘が犯されているかもしれないのに、棚橋夫妻は外川数史を崇拝しているどうしようもないクズ親。そのカフェ、ZEROISMよりも醜悪で凶悪。凶暴なおまえたちに関わりたくない気持ちもあるが、純菜だけは手に入れる。純菜はかわいい。女優やアイドルになれるルックスだ。南部には、純菜には弾を当てないように、仲間から命じておいた。杉浦も殺せない下手くそだとは思わなかった。純菜も奥原ゆう子もいずれ抱かせてもらう。私が恋をした女はすべて私のものだ。いや、安心してほしい。純菜が嫌がれば一回でいいんだ。私が怖ければ、一度、私と純菜をモナコへの旅行に行かせてくれたら、君たちには一生手を出さないと誓う。返事は、君たちが私にたどり着いてからでいい】

藤原が眉間に皺を入れて、
「森長さんのようで森長さんじゃないようで…」
と呟いた。
「まあ、溺愛している娘みたいな女の子を抱きたい変態オヤジはいるよ」
高洲が軽い口調で言うと、外川の声がスマホから聞こえた。
「バカ。森長さんがモナコなんてお洒落な場所に行くわけないだろう。純菜を誘うなら…」
「なら?」
「別府温泉かな」
二人を笑わせたが、
「すぐに横川さんをそこに行かせる。ドアをしっかり閉めておけ」
途端に部屋の空気が緊張し、高洲が慌てて椅子をドアの前に運んだ。
「横川って誰?」
「杉浦さんの先輩の公安の人」
「早く来て。ちょっと怖すぎるよ。なんでこのメールの男は、私たちがここにいるのを知ってるの?」
高洲が泣きそうな顔で、窓際に走った。

『お父さん…』
森長英治は、息子の悠と久しぶりに食事をしていた。
『僕が奢るよ』
高級レストラン。息子の悠はYoutubeで数千万円の年収を得ていた。
『嬉しい親孝行だが、Youtubeの生活は長続きしないぞ』
父親らしく、やんわりと説教をした。
『分かってるよ。高洲響子も消えたし』
『知ってるのか』
『人気youtuberは繋がってるんだ。高洲響子には会ったことはないけど、僕たちの目標みたいな人だった』
『あんなのを目標にするな』
『数字だよ。人間性じゃない』
賢そうな顔をしたイケメンの彼は、屈託なく笑うと、
『売れてるうちに奥原ゆう子に会いたいんだ。お父さん、会った事があるよね?』
父親の顔を覗き込んだ。プレゼントをねだる子供のような愛らしい笑顔を作った。
『映画のパーティーで警備した時に見ただけだ』
『なんかコネはない? 日本一、キレイな女性。俺みたいに発達障害の疑いがあるyoutuberなんか目もくれない。だから死ぬまでに会いたい』
息子が、発達障害、と口にした途端に父、森長英治の顔が曇った。
『発達障害じゃなかった。すまん。忘れてくれないか』
『忘れようとしてるんだけど、好きな女が出来ると思い出して積極的になれないんだ。奥原ゆう子のような有名人じゃなくても…』
『……』
息子は結婚は出来ないかも知れない…。
そう思った森長英治は、
『脚本家の田原澄子に頼んでおくよ。だけど、奥原ゆう子はちょっとハードルが高いぞ』
力なく言った。
子供の頃に傷つけてしまった息子の頼みはなんでも聞いてあげたいが、トップ女優と付き合いたいような無茶な話が来るとは思わなかった。
森長は、田原澄子の名刺が残ってないか、名刺入れを見ていた。
『じゃあ、お父さんの部屋に写真が飾ってあった女の子を紹介してほしいなあ。あんなにかわいい子、俺の周りにいないよ』
『俺の部屋? 純菜ちゃんか。彼女なら結婚した』
『え? まだ若いよね?』
『昔から好きな男性がいて、その人とな』
『くそ…』
息子が悔しそうに唇を噛んだから、森長が目を丸めた。
『美しい女は手に入らない。すぐにまともな男に取られて、俺みたいな発達障害の男は天才って言われててもメンヘラしか近寄って来ないんだ』
『まあ、純菜ちゃんは稀にみる美少女だったから、写真を見ただけで好きになった気持ちは分かる。おまえは美人が好きなんだな』
『好きだよ!美女と美少女は人類最強じゃないか!黒歴史がある俺の隣に美女がいたら、何もかも解決するのに!』
思わず大きな声を出す森長悠。
『許さない。ZEROISM……。俺から美女を奪う男たちも……』
張り上げた声を急に小さくしたから、森長英治には息子のその憎悪が湧いた声が聞こえなかった。
だが、森長が息子を見る目は父親の温厚なそれではなかった。

…続く。

普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。