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【動画解説】慈悲の瞑想だけが、新たな怒りを封じることができる

 このシリーズ最終動画になります。


草薙龍瞬さんと山下良道さんはまったく同じことを言っていた!


 さて、草薙龍瞬さんの名著『反応しない練習』に大切な寄り道をしていましたが、シリーズの『マインドフルネスX禅』に戻ってまいりました。

 次回の動画(この記事のトップ画像で作ります)がこのシリーズの最終回になります。今回は、その動画の予告記事になります。

 草薙龍瞬さんの『反応しない練習』で学んだことは、苦しい現実をシカトする、なかったことにする態度ではいつまでたってもその苦しみからは逃れられないということでした。

 このことは、実は、山下良道さんが『マインドフルネスX禅』で力説してきたこととまったく同じです。

怒りを手放す、心の平安を手に入れるマインドフルネスには準備が必要

 この回で書いたように、マインドフルネスはいきなり瞑想をやるのではなく、手順が必要でしたよね。

①正見(正しい見解)
②正思惟(正しい決意)
③正語(正しい言葉)
④正業(正しい行為)
⑤正命 (正しい生活)
⑥正精進(正しい努力)
⑦正念(正しい思念) ←これがマインドフルネスだよ!(^~^)
⑧正定(正しい瞑想)

【シリーズ】禅とマインドフルネス④映画館の外に出るための八正道

 草薙龍瞬さんのいう、シカトせずに、スルーせずに「苦しみを理解せよ」、というのは、7番目のマインドフルネスにいたるまでの6つのことをまとめた言葉だったと考えて間違いありません。

 ここまでは、山下良道さんも草薙龍瞬さんも実は同じことを言っていたわけですね。

 では、マインドフルネスに話を戻して、この苦しみを理解することを、どうやってマインドフルネスを経由して、本当にその苦しみから脱する世界へと至ることができるのでしょうか。

「慈悲の精神」こそがマインドフルネスを成功に導くその理由

 そこで出てきたのが、「慈悲の瞑想」がポイントだという話でしたね。

 ここで、「なんだあ、そういう、道徳臭いっていうか、宗教みたいなのいやなんだよなー。ダサいから。そうじゃなくて、脳科学的にも証明されたエビデンスのある、現代的なマインドフルネスがいいんだよ!」という声が聞こえてきそうです。
 (^~^)

 もちろん、こっから仏道修行をやるわけじゃないので、その通りでいいのです。ただし、仏教を離れても「慈悲」、他人を思いやる心って大切ですよね。

 そして、私達が知りたいのは、なんで慈悲の精神がないとマインドフルネスが失敗するかということです。

 これの答えは、ズバリ、こういうことです。

慈悲の精神がないとせっかく手放した怒りの感情がまた、別の怒りの感情を生み出す

これが理由です。

あの、面白い図を思い出してください。

 私たちは、こうやって本物の人生ではなく、誰かが用意したシナリオ、お金が大切だというシナリオ、貧乏は嫌だというシナリオ、高学歴が良いというシナリオ、英語がしゃべれたほうが良いというシナリオ、平社員より社長さんが良いといシナリオ、いろんな誰かが作った映画の中の人生を生きています。

 山下良道さんは、この映画の世界から外に出て、それをリセットすることが必要だと言っていました。これが、まず怒りや絶望などの感情を整理する第一歩でしたよね。

 そうすると、こういう世界が見えてきます。

 みんな、誰かが企んだ、仕組んだ、誰かが書いたシナリオに沿って、主義や思想でケンカしている。そういう世界の状態を、客観的に観ることができる。さっきまでは、スクリーンに映っているのが唯一の世界だったわけですが、こうやって、映画って何本も世界中で上映されているんだなって、それが相対化できるわけです。

 しかし、こう↓↓↓なっては意味がないですよね。

一つの映画館を出てまた別の映画館に入ったらまた囚われの世界が始まる


映画館はたくさんある、また入ったらまた同じ苦しみが待っている
ちなみにこれが仏教の輪廻転生の苦しみ

 上の図で言えば、左下のユダヤ教徒であることをやめようと思って、ユダヤ教徒の映画館を外に出ました。でもそのままではなんだか生きている実感が持てないので、右側の映画館に入ってみました。そしたら、それはイスラム教徒の映画でした。その映画に今度は没入してしまいましたとさ。

 こうなってしまうと、上の図の争いをしている左側の集団から右側の集団に移っただけで、そこに発生する憎しみや殺し合いの世界はまったく一緒ということになりますよね。

 そこで登場するのが、ほんとうの意味で、この世界の苦しみを捨てること(ユダヤ教徒であることも捨て、イスラム教徒になる道も捨てること)です。

慈悲喜捨の精神こそはマインドフルネスの完成である


 さて、ユダヤ教徒であった自分がイスラム教徒の人を憎んで殺し合いをしていました。でも、それは誰かが作った映画に知らない間に出演させられていただけだ、と気が付きました。

 その時、その人は、イスラム教徒の人を赦そうと思ったはずです(これが慈悲の精神の発生)

 でも、今度はその足でイスラム教徒の映画館に入ってしまったとすると……。せっかくの慈悲の精神で得た幸せは、またすぐに逆戻りしてしまいますよね。
 マインドフルネスでせっかく心の平安が得られたのに、またすぐにもとに戻ってしまう。あの苦しみ、徒労感、人生ってもうやだ感ですね。

 じゃあ、どうしたら、再び元の世界に戻らずに済むのか。覚ったはず、心の平安が得られたはずなのに、どうしてもとに戻ってしまうのか。今度こそ、それを断ち切るにはどうしたら良いのか。

 それがこの言葉だったのでした。

 慈悲の心で、イスラム教徒を赦したとき、そのときには、心は喜びに満ち溢れました。マインド(こころ)がフル(満たされた)状態になりましたよね。

 そして、ここが最大のポイントです。

 その喜びを今度はてるのです。

 せっかく手に入れた喜びを捨てるなんていやだ、と思うかも知れません。でも、その喜びは、イスラム教徒の人ともう戦争はしなくていいんだっていう、一番手に入れたかった心の平安を手に入れたのだから、もう必要ないのです。

 だって、心の平安は、「やったーもう戦争しなくていいぞ!」っていう一時的な喜びよりも、もっともっと時間的に持続する、心が満たされる幸せの完成だからです。

 喜びっていうのはそれは手に入れたら嬉しいですけど、ずっと長続きするものではありません。だから、それに執着してしまうと、今度はまた、その喜び、それから仲間のために敵を殺していたあの高揚感や一体感が忘れられずに……。その変な考えが変な行動を引き起こします。

 今更キリスト教徒に戻るのも、断られそうなので、じゃあ、イスラム教徒になってみよう!って(爆)。何やってんですか、いったい。
 (^▽^)

 もうおわかりですね!

 一つのブラック企業で、ひどい目にあって、そのメンタルはマインドフルネスでやっと治った。

 ても、根本的に自分がパワーアップしていないと同じ悲劇が起きる可能性もある。また、会社を移らなくても、復職しても
パワーアップしていないとうまく復帰できないかもしれない。

 赦さないといけないわけです。しんどくても仕返しとかしてはいけない。でも泣き寝入り、反応しなければいいというのは、もっといけない。最悪です。

 なにか根本的に変わる必要がある。

 慈悲の精神は、それによって手に入れた喜びを手放すことによって完成するのです。これが究極の心の平安です。最初から嫌なことを見なかったことにする、最初から手放すことではない。その正反対で、<最終的に>手に入れた<幸せな喜び>を捨てるのが、正しいマインドフルネスなのです。

そのマインドフルネスは、偽マインドフルネスだ!
本物は正反対だったぞ!

 最初からシカトする、なかったコトにするのではなく、必要なプロセス(八正道の6番目まで)やってから、瞑想によって7番目の「思念」念ずること、心の平安を念ずるのです。

①正見(正しい見解)
②正思惟(正しい決意)
③正語(正しい言葉)
④正業(正しい行為)
⑤正命 (正しい生活)
⑥正精進(正しい努力)
⑦正念(正しい思念) ←これがマインドフルネスだよ!(^~^)
⑧正定(正しい瞑想)

 そうすると、⑧正定(正しい瞑想)が完成する、これがこのシリーズで追求してきた正しいマインドフルネスなのでした。

 だから、もしかすると、マインドフルネスとは、せっかく手に入れた喜びも含めて、最後に何もかも「捨」てることを覚悟することから始まる「慈悲の精神の実践」だと気づくことなのかもしれません。少なくともみこちゃんはそういう理解が一番しっくり来ます。

 これが、仏教の修行ってものなのかな、と思います。

 必要な手順は絶対に踏む。いきなり、7番目から始めても、それまでの道のりを乗り越えたっていう実感がなかったらすぐにもとに戻ってしまうのも、これなら、納得できますよね。

 さて、いかがでしょう。

 予告していたティク・ナット・ハン氏の著作などは、いったん、『マインドフルネスX禅』を動画に最終まとめてから、別個にスタートする予定です。

 お楽しみに!

 (^▽^)v


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