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学校へ行けなくなったナオ

「なんで友だちのことを殴ったの! 暴力は犯罪なのよ。わかってるの?」

 お母さんが朝から怒鳴っている。この後、大量にお酒を飲んで泣きながら寝るんだろう。なんであいつを殴ったのか? 自分でも何でそんなことをしたのかよくわからない。何であの時、聞き流さなかったのだろう。酒飲みのお母さんのことは大嫌いのはずなのに。

 三日前に暴力事件を起こしたあの日の朝も、いつもと同じ家の風景。「いってきます」と声をかけてもお母さんの返事はなく、代わりに空き缶が床に落ちる音。

 昼休み。朝からお腹の調子が悪く、トイレの個室に入っていると、ドアの向こうから前の席のトモヤの声がした。
 「ナオのおかん、やばいねん。毎日うちの店にお酒買いにきてるんやけど、この前手伝いでレジに入ってたら、すごい量の酒買ってて。しかもお金払う時なんか手が震えて何度もお金落としてんねんか。あれは相当やばいわ」数人の笑い声。

 次の時間は理科室での実験。トモヤは実験中にわざと手を震わせて実験道具を何度も何度も床に落とした。まわりのやつらもニヤニヤしながらボクを見ていた。そして五回目はトモヤがわざと道具を落とした音ではなく、ボクに殴られたトモヤが席から落ちた鈍い音が理科室に響いた。
 先生たちから殴りかかった理由を何度も聞かれた。トモヤの家から被害届が出たら、警察の事情徴収もあるぞと脅された。「理由はないです。あいつが何度も実験道具をおとすのがうるさくてイライラしたから」
 あれからボクは学校に行ってない。

 学校には行ってないけど、一学期から行きはじめていた「こどもソーシャルワークセンター」の夜の居場所トワイライトステイには毎週木曜に通っている。ここには同じ学校のやつらがいないからいつもの自分でいられる。
 「ナオが二学期になって学校休んでるんやって。昼のほっとるーむに来てもいいやろう?」いつも家のことを愚痴っているミカに、実は最近学校を休んでいること話したら、さっそくセンターのスタッフにお昼の部も参加できるように交渉してくれた。学校であいつらの顔を見たくもないけど、家で酒臭いお母さんと一緒にいるのも同じぐらいしんどかったので、お昼もここで過ごせる日が出来たのは正直助かっている。

 夜のトワイライトステイは毎週いろんなボランティアの人が来ていたけど、お昼のほっとるーむはいつも同じ大学生の人が来てくれている。何でも大学は授業のない日があるらしくて月曜日はちょうど授業がない日だからと言っていた。あとびっくりしたのが、ほっとるーむに来ている日は中学校への出席扱いになるらしい。センターのスタッフの人が説明してくれた。さらにびっくりしたのが、いつも来てくれている大学生のお兄さんは、高校に通ってなかったってこと。「高校行かなくても大学って行けるの?」「うん。高卒認定試験に通れば大学の受験出来るし、ボクもそのパターンだったから」そんなこと学校では教えてくれなかった。って、そりゃそうか。

【解説】

 この物語は2022年6月より、京都新聞(滋賀版)にて月一の連載としてはじまった「こどもたちの風景 湖国の居場所から」の前半部分の物語パートです。こどもソーシャルワークセンターを利用する複数のケースを再構築して作っている物語なので、特定の子どもの話ではありません。

 第4回目は、実は第3回目の主人公と同じ中学生。前回はアルコール依存の母親との夏休みの生活でしたが、今回は二学期がはじまってそんな母親のことを馬鹿にする同級生とのトラブル(というか「いじめ」ですけど)がきっかけで学校に行けなくなった話を描きました。

 京都新聞の紙面の解説では書きましたが、スクールソーシャルワーカーとして仕事をしている時は、不登校の子どもたちについては「アセスメント」というなぜ子どもが不登校の状態にあるのかを診断しなければなりません。しかしこどもソーシャルワークセンターで不登校の子どもと関わる時は、学校や家庭から不登校の理由を聞くことはありますが、正直なところ子どもたちには不登校の理由は気にせずに、楽しくセンターで過ごしてもらうことに徹します。
 というか自分の仕事を否定するのかと言われそうですが、そもそも「不登校の理由」って、そんな簡単に原因が見つかって、それさえ解決すれば楽しく子ども時代を生きていけるとは個人的にはあまり考えていません。
 スクールソーシャルワーカーの仕事として「アセスメント」は確かにありますが、会議だけでアセスメントをしているソーシャルワーカーが増えている昨今(子ども分野に限らずの傾向です)、子どもたちが生活している学校の様子を直接見ずに行うアセスメントの危うさをもっと、ソーシャルワーカーやカウンセラーなどの専門家は自覚すべきと考えています。自分がスクールソーシャルワーカーとして働く時には、なるだけ子どもたちの学校生活を見に行きます。そこでケースの子に焦点化して見ていると、何とも言えない空気のような疎外感や生き苦しさを感じることがあります。
 今回のナオのお母さんのことを同級生たちが、何とも言えない方法でからかう場面などはスクールソーシャルワーカーとして見かける風景をもとに書き上げました。ドラマや週刊誌で描かれるようなあからさまな「いじめ」をする生徒は、今の時代ほとんど見かけません。さりげなく本人が気づくか気づかないかのギリギリのところをせめる(だからこそ大人に指摘されたら言い逃れられるように、というか加害者としては無意識であったり悪意もない)タイプのいじめが思春期の場合はほとんどだと考えています。
 だからこそ「いじめ対策」は学校で先生だけでまかすのではなく、また外部の相談機関や弁護士にまかせるのでもなく、ただ子どもが自分らしく安全安心に過ごせる「居場所支援」が必要とソーシャルワーカーとして考えています。

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