マインドフルネス「まったくわからん…」から「ちょっとわかった!」になった話
マインドフルネスとは
マインドフルネスという言葉をよく聞くようになって久しいです。マインドフルネスは、心を静めて「今、ここ」に集中し、ありのままに周りの環境や自分自身の感情をただ観察する実践です。驚きや好奇心を持って、今起こっていることを受け入れ、認識します。
マインドフルネスを実践すると、自分の感情や反応をよりよく理解し、ストレスを減らし、日々の生活をより満足して過ごす助けとなるらしい。
ストレス社会では強い味方になってくれそうです。私は救命センターの救急医ですので働いているときは、とにかくバタバタしています。マインドフルネスを取り入れて、忙しくも清々しい日常を送りたいものです。
それはつまりどういうこと?
しかしながら、うーん、よくわからない。マインドフルネスの説明を聞いても抽象的で理解しづらすぎる。瞑想とか?禅の心とか?ちょっと自分の生活から、かけ離れている感じがしました。
そこで『マインドフル・プラクティス 医療を支えるマインドフルネス−ある臨床家の実践(土屋静馬・訳, MEDSi, 2023)』を読みました。これは医者向けのマインドフルネスの考えかたの本です。ここには私にとって身近なエピソードが書いてあって、実用的な話も紹介されていて、読後はマインドフルネスということについて、「納得した」という感覚になりました。
納得した、理解した、では片手落ち
ある日の救急外来に、とある患者が数日以上前からの症状のために訪れました。その患者は歩いて救急外来を受診し、血圧などのバイタルサインも問題なく、意識清明でした。数年前からの話も、数日前からの話も、客観的な話も、主観的な心配も、ごちゃ混ぜに10分近くお話していました。
救急外来は緊急な場合に訪れる場所ですので、緊急かどうか、重篤かどうかの判断が大切です。初めは、元気そうに、まとまらない長話をしている患者を「緊急性なし」と判断して、知らず知らずのうちに聞き流していました。もう少しで到着する救急車のことについて考えていたかもしれません。
患者の話の内容は、新しい症状のことだけでなく、昔から腰が痛いからシップを貼ってるとか、夜におしっこに起きる回数が年々増えて睡眠薬が欲しいとか、一人暮らしでは心細いとかですね。
しかし途中で「ん?」と思った瞬間がありました。「このひと脊髄の病気なのでは?」と思ったタイミングがありました。そこから紆余曲折あってこのかたは緊急手術になりました。
このとき「緊急性のなしというラベルを貼って、明らかに話を聞き流している自分の姿」を、はっきりと感じました。同時に「ん?」と思ったある瞬間から、ギアが入った自分の姿もです。
ありありと自分を感じたという体験をしたのです。そして、これがマインドフルであるということかも?!と思いました。同時に「緊急性のなしというラベルを貼って、明らかに話を聞き流している自分の姿」はマインドフルな、あり方ではなかったなと、二重にマインドフルであることについて学んだわけです。
似たようなエピソードが、先ほど紹介した『マインドフル・プラクティス 医療を支えるマインドフルネス−ある臨床家の実践』という本に書いてあるんです。この本で読んで理解はしていたのですが、体験して「これかー!」と腹落ちしたときとは、また次元が違いました。
これってマインドフルネスの実践の第一歩なのかも、と思ったエピソードでした。
感覚のチェックイン
感覚のチェックインとは、自分の感覚に注意を向け、その瞬間に何を感じているのかを認識するマインドフルネスのプロセスです。まさに救急外来でのエピソードは感覚にチェックインした瞬間でした。これは自分のケアにもなるし、患者の診察やケアの質の向上につながりうるなと感じました。
職場に着いたら、ごく短時間「今日の自分ってどうかな?どう感じているかな?」と、ぼんやり考える、みたいなのも感覚のチェックインです。これなら実践できそう。これが拡大していったのが、瞑想なんだろうなと朧げながら見えてきました。
ちょっと、マインドフルっていいかもしれません。
最後に、本文中で紹介した書籍のリンクを貼っておきます(アマゾンアソシエイトリンクです)。
※当然ながら、エピソードに登場した患者情報は大きく改変してありますのでご理解ください。
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