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「不自由さ」からの解放を目指す

手放して軽くなる

2年ほど前から、色んなものを手放してきた。

「こうでなければならない」とか、「批判や批評、ジャッジすること」、「悲しみ」「憎しみ」「怒り」「寂しさ」「罪悪感」「無価値観」「執着」等々のネガティブな気持ち。

お金に対するネガティブなものも手放したくて、ずーっとつけていた家計簿(子供の頃からお小遣い帳を付けていた)も手放した。

そして、私はどんどん軽くなり、自分の心地よいことを許可し、魅かれることを体験し、楽しくなって、たくさんの腑に落ちるような気付きを得て、ワクワクして、喜びを感じることが増えた。

突然訪れた「停滞感」

それなのに。
ここへ来て、どよ〜んと何か重たい気持ちを感じている。

きっかけは、あの出来事だ。
ある時、アスペルガー的特性の強い夫に話しかけたら、突然攻撃的な感情を向けられた。

多分、夫は疲れていたか、過集中の状態だったのだと思う。

夫のアルペルガー的傾向を知ってから、私はずいぶんと夫への対応の仕方を工夫して来たし、私自身も自分と向き合って「こうあるべき」「普通はこうでしょ」という考え方を手放してきた。

それにより、自分自身も解放されてきたし、生きることが楽にもなってきていた。

けれども。
やはり安心であるはずの家庭の中で、そして本当は誰よりも仲良くしたいと思っている夫に、突然攻撃的なエネルギーを向けられるのには、耐えられないのだ。

私は、深く傷つき、生きる気力を失い、復活するのに沢山の時間を要する。
そして、いつかまたその「地雷」を踏んでしまうのではないかと、夫の様子に細心の注意を払いながら、しばらく暮らすことになる。

解放と地雷の狭間で感じている「不自由さ」

そして思った。
「地雷のない暮らしがしたい」
「安心して暮らせる場所で、生きたい。」

そして安心の中で、私の繊細さを十分に発揮して、心地良く人と繋がって生きていきたい。

そう、私は安心のベースが欲しいのだ。

夫は、私の持っていないものを持っていて、尊敬する部分もあるし、ある意味先生だし、すごい人だと思っている。
優しいところもあるし、私のことを好きでいてくれる。

ただ、アスペルガー的特性のために、その時の状態によって、私に対して尊大なというか、横柄なというか、そんな風に私が感じる態度をとることがあり、それが私は嫌でたまらない。

夫が私に対して、そのような態度をとるのは、私が妻であり、一緒に暮らしているという、その関係性もあるのだろうと思う。

夫にとって家庭というものは、絶対安心の場所であり、自分自身でいられる場所だと思っているから、その時の気分のままに振る舞っているだけなのだろう。

家庭を構成している妻である私にも、すべてを許してくれる安心感のある存在でいて欲しいという願望があるのかもしれない。

だから、そうでない時、自分が思い通りに動けない時、イラつき、そのままの気持ちを私にぶつけてしまうのかもしれない。

だけど、これは私にも言えること。
長年一緒に暮らしていると、他人にするような丁寧な物言いや、態度を忘れ、夫に対して横柄な態度を取っていることもあるかもしれない。

「人の振り見て我が振り直せ」

日本には、素晴らしいことわざがあるなぁ。

・・・と、話が横道に逸れてしまったが、夫のアスペルガー的傾向に向き合う中で、私は解放されてきた一方で、それにより安心であるはずの家庭の中で傷つき、生きる気力を失う、という現実もあるということだ。

その狭間で感じているものが、「不自由さ」なのだ。

「繊細さ」の使い方を学ぶ

私は、自分の繊細さを、恐れることや傷つくことに使うのではなく、もっとクリエイティブなことに使い、満たされ、私と繋がってくれる人も満たしていきたい。

今、そんなことを考えている。

だから、その方法を知り、活用するためにチャレンジしていきたい。

いや、そうすると決めたのだ。

そうすることできっと、私は「不自由さ」から解放されていくのだ。

大丈夫、きっと上手くいく!

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