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短歌と私、その先

おはようございます✨
今日は9.11ですね。
19年前の今日、私は高校生でしたが、それから世界は得体の知れない不安とずっと隣り合わせに生きてきているように感じます。
あれから、大勢の人が一瞬で命を落とす、そんな場面を何度何度も目にするようになりました。
いやもしかしたら、それまでもそんな瞬間は当たり前のように足元に転がっていたのかもしれません。
でも、普通に街で生活していて、知らない人に一瞬で命を奪われるリスクを感じたことなんて、9.11以前は確かにありませんでした。少なくとも私と私の周りの人たちは。

あれから19年、多分ちゃんと自分の街で普通に生き続けていることはきっとすごいことなんだと思います。
自分と家族が落ち着ける家があり、食べたいものが適正な値段で買え、欲しいものは様々な選択肢の中から気に入ったものを手に入れることができます。
いつも忘れているけれど、実はそれはとってもすごいことなんだなと。

生き続けられないリスクは他にもたくさんあって、私の場合は特に病気です。
昨年の告知から割と元気に過ごしていますが、後遺症もそれなりにあって、ことあるごとに不安になったりします。

病気になって、人間は結局ひとりなんだと気づきました。
誰も自分の代わりに生き続けてはくれません。
なので、どうしたらこの度々襲ってくる不安とうまく付き合えるのか?考えました。

それと同時に、
病状や環境が深刻なのに明るく過ごせている方々を見つけては、どうしてそういう風に過ごせているのかを考えました。
考えて考えて、ひねり出した答えが「今に集中する」ということでした。

将来も過去もすぐには変えられないから、決して期待しちゃダメなんだと思います。変えられないことに執着すると、底無し沼にはまります。
せめて自分の納得できる将来に少しでも近づけるように、今の自分の選択を「自分が良い」と信じるものだけ重ねていって、
そしたらいつか結果として「この道で良かったな」と思えるのではと感じています。

最近始めた短歌も、そんな価値観を肯定してくれました。
短歌を教えてくださった岡野大嗣さんの言葉で「自分のために、短歌を詠もう」という印象的なメッセージがありました。
今という瞬間を忘れないために短歌を詠む。
素直にその瞬間の情景を表現すれば、短歌が自分の代わりにその瞬間をずっと覚えていてくれる、

という考えです。

心を動かされた瞬間を短歌に詠もうとする時間は、きっと自分の「今に集中する」ことに繋がるのだと思います。
そして、いつか振り返れば、自分がつくった無数の短歌が道跡のように並んでいて、いつでも語ってくれるのだと思います。

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