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『骨を彩る』書評  生きることの難しさをていねいに描き、希望に走り抜けるラストに感動!

『骨を彩る』を読んで泣いた。
生きる痛み、人間関係の難しさが伝わる内容でありながら、ただつらいだけではない。多数の登場人物に共感し、一緒にモヤモヤしつつ読み進め、最後の1編で静かに泣かせてもらった。
非常に良い作品だったので、書評として細かいところまで語りたい。そのためかなりネタバレを含むことをご理解いただきたい。
ニュートラルに読んでほしい、という気持ちを込めて、ネタバレ無しの紹介文も書いているので、予備知識だけ欲しいという方は以下を読んでいただきたい。
「ネタバレ無しのおすすめ文 繰り返し読んでいただきたい良作!」

ここからはネタバレ全開の書評を記す。

1作目:『指のたより』

津村成久という中年男性が、夢で亡き妻と遭遇し、10年経ってようやく後悔に向き合えるようになる話。
津村は誠実な男性に見えるが、妻の死に関連してフタをした記憶があり、そのフタを取るだけで10年を要したという設定がとてもリアル。

序盤で妻との美しい記憶が紹介されるが、夢の中で「指の本数が減っていく」という奇怪な描写で、読者に「何かがある?!」と思わせる。
知るのが怖いと思わせながらも先の展開が気になる、バランスがうまい作品だと感じた。

綾瀬まるの作品を始めて読んだが、序盤で「自分はこの人の作品をまた手に取るだろう」と印象付けられた。

病気の影響で社交性が消え、幼い娘にも優しく接する余裕がなくなる妻の姿が淡々と描かれていて、津村と妻のそれぞれの心の痛みが切実に伝わる。やがて津村は変わっていく妻を愛せなくなるが、嫌悪を感じながらも理解できる部分もあった。
津村は妻が残したひとことに向き合うことで、自分の器量の狭さと人間としての醜さを認識することになる。彼はこれからの人生で、「自分が病気の妻に優しくできなかったダメな人間」だと思って生きることに恐怖を感じているのだろう。
死を美化する人たちに違和感を持ちつつも、津村自身も妻の美しい部分だけを思い出して、ネガティブな面にフタをする都合の良さを自覚してストレスを感じているのだと思う。
記憶を都合よく書き換えていく津村の恐怖を、著者は以下のように表している。
“本当にたやすく津村の無意識は津村をあざむく。酸を注ぐように、罪悪感をぐずぐずと溶かしていく。”

それでも、妻の記憶に導かれて封印した記憶に向き合った時、初めてわだかまりが解ける。

終盤、妻は苦しみや恨みを経由して、別の気持ちを持っていたことが明かされる。この場面で涙腺が刺激されるが、そこからさらにしっかり泣けるラストが用意されている。
とは言え、単に泣かせる演出を連発する安っぽいエンタメにならず、どんなに大事な記憶もやがて薄れていく、という別れの悲しみも添えられていてひどく切ない。
上から目線で許すのではなく、許しあうこと分かり合うことが関係を良くしていく、これは本作収録の5つの話に共通するテーマなのだろう。

2作目:『古生代のバームロール』

2作目は相川光恵(32歳)の目線。
他の4作は個々の悩みにそれなりの答えを出すが、この話だけは不明瞭なまま終わる。ラストシーンの光恵はなにを思っているのか、消化不良を感じるが、このモヤモヤは5作目で上手く回収される。

光恵は自分を「愚鈍」と感じる自己主張が下手な人物。元夫の浮気で離婚する時も、相手の罵声に気おされてなかなか事務処理を進められなかった。
そこに同級生の玲子が現れて、ゴタゴタを片付けてくれる。最初は「頼れる親友」なのかと思って読むが、微妙な距離感があって歯切れが悪い展開が続く。そのモヤモヤは2作目全体に流れる空気でもある。

光恵は実は玲子がニガテなのだが、その感情が物語の後半で静かに表面化される点が面白い。
誰もが日々表現しにくいモヤモヤを感じていて、それはコンプレックスに根差していることが多い。自分のダメさが分かっているから、玲子を疎ましく思う。それでも玲子を避けるほど強くもなれず、頼ってしまう光恵の弱さにも共感できる。

タイトルの『古生代のバームロール』は、高校の生物学の記憶と、友人が好んで食べていた菓子に由来している。文中に化石の描写もあることから、絶滅した生物も連想させる。
生物に例えれば玲子は適応能力の高さで生き残る存在だが、光恵は生存競争に負けて生息地を不利な地域に変えていくタイプだろう。
私も争って豊かな場所を勝ち取るより少し不利でも平穏な場所を選ぶタイプなので、光恵の気持ちは理解できる。
この生存競争の厳しさが、中学生を主人公にした5作目のフリになっているのも、作品として「上手い!」と思う。綾瀬まるの他の作品も読まねば!とここでも記憶に明記。

さらに、光恵が旧友真紀子とすれ違っていく展開にもモヤっとさせられるが、5作目でその霧は回収される。2作目がスッキリしないのは、作品全体の仕掛けだったのだと気づかされた時、何度も繰り返して読みたくなる作品だと感じた。

3作目:『ばらばら』

2作目でデキる女として描かれた玲子の悩みを描いている。
旅の途中で出会ったサクラコのトラウマを「甘え上手」と受け取る玲子は、2作目で光恵が感じていたように周囲にプレッシャーを与えるタイプだと分かる。

玲子にも苦難があり、幼少期の親の離婚、イジメ、新しい父になじめない少女期などが紹介される。
しかし、玲子は苦難に耐え、むしろ反抗することでプライドを築いた。そのため他者にマウントを取るクセが身につき、幼い息子にプレッシャーを与えてしまう。
旅に出た玲子は自分の理解不足に目を向け、家族を受け入れる気持ちを持つことで話を完結させる。

短編としてハッピーエンドに見えるが、2作目と対比すると話に深みが出る。2作目の光恵は、玲子のように何でも自力で解決していく器用さを持っていない。おそらく玲子の息子も光恵のようなタイプだろう。
話は玲子が息子と再会する前に終わっているので想像するしかないが、彼女が息子と折り合っていけるかは、自分と息子が違う素養があることを理解できるかにかかっている。

相手をきちんと知って許容できるか、ある意味で5作目に登場する中学生・小春と葵は玲子が残した宿題に挑む。玲子も頑張って生きてきたので否定はできないが、これから大人になっていく小春と葵に、玲子のように意固地に生きる必要はない、と語り掛けたくなる。そんな気持ちを沸かせてくれる連作の構造が面白い。

個人的には玲子はニガテなタイプだが、私自身も苦手な人を受け入れるきっかけにしたいとも思った。

4作目:『ハライソ』

槌田浩太郎という若い男性の目線。
異性にどう向き合っていくか、優柔不断さをどうやって解消するかという話で、本作全体の中で私は浩太郎という人物はあまり気にならなかった。
悩みはあっても自分の存在を揺るがすほどではないし、この短編の中で何となく解決できているので、著者としても大きな扱いではないのだと思う。

もしかすると著者は本作執筆時点で、男性の描写に戸惑いがあるのかもしれない。全編で女性の悩みを克明に描いていることに比べると、男性の掘り下げは浅い気がする。全体の作風から意図的男女差を付けたとは考えにくいので、綾瀬まるという作家が男性描写について成長中ということだろう。本作しか読んでいないので全体像は不明だが、他の作品に注目したい。

本作に登場するヨシノという女性は本名を明らかにしていないが、三作目登場のエガワサクラコに間違いないだろう。作中に説明はないが、本名のサクラコからソメイヨシノを連想して、ネット上ではヨシノと名乗っていると予想する。

ヨシノは幼少期に友人との関係が崩れたことを、自分の責任と悔やんでいる。
人間関係がささいな事件で壊れること、学校が「イジメ」という言葉には神経質なのに的を射た対応ができない描写などが、5作目の小春や葵が生きる世界の厳しさを予告する。

5作目:『やわらかい骨』

「自分の骨を蝕んでいる黒いしみ」という言葉を13歳の小春が語ることで始まる。
小春はスクールカーストの息苦しさが日常化している中で、葵という転校生に異質さを感じる。小さな偏見が大きくなるのか、自分と異なるものと折り合えるのかをていねいに描いている。

作品としては偏見に対して上段からのジャッジはしない。緩やかに自分と異なる存在を認めて、成長する小春が、息苦しさの中でも友情は生まれると知るシーンが素直に泣ける。

短い作品の中で、恋愛や母の病死、大人との距離感、自己肯定と自己否定の境界などを盛り込んでいる点も面白い。多くの要素が少しずつ絡み合うことで、小春が実在の人間であるかのように感じさせる点にも感動する。

後半の葵の言葉、“なんのうたがいもなく怒ったり、責めたりできるのは、その物事に関わりがない人”という言葉のインパクトが強い。
わかっているつもりでも人間は簡単に差別者になってしまうとくぎを刺されるし、身近な人間関係を前向きに考えさせてくれる言葉でもある。
大切な相手なら、見守るだけでなく踏み込んで関わりあうことを恐れてはいけない。そんな気持ちを持たせてくれて、友人や家族に少しでも暖かく接していこうと思わせてくれる作品だった。

とても良い作品なので、ぜひ手に取ってみていただきたい。

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