【自己紹介】公認心理師・カウンセラーのnoteから
小学校2年生の時に母方の祖父が亡くなり、初めて「死」を意識しました。昨日まで元気だった人が冷たくなって肉体が焼かれてしまうことにショックを受け、それから「生きる」ことの意味をずっと考えてきました。
中高一貫のカソリックの女子校では、シスターたちがいつも口にする「愛」という言葉に違和感を覚えてしまい、居心地の悪い学生生活でした。
折角聖書を勉強するいい機会だったのに、聖書の言葉が胸に沁みてくることもないままに卒業してしまったのは残念です。学校も休みがちで、家で読書をしているのが一番好きな時間でした。
その後、大学の哲学科に進学し、女子校の厳しい雰囲気から解放されて、部活動に精を出したりテレビ局でバイトしながら大学生活を謳歌しました。
大学3年の時にアメリカに語学留学したことがきっかけとなり、大学4年の時にはフランス系航空会社に客室乗務員として採用され渡仏しました。
フランス語は片言しかできませんでしたが、パリの街は美しく、仕事では日本だけでなくアメリカやアフリカなど色々な国に行き、毎日わくわくするような新しい体験の連続でした。今考えると、何故あの時パリに残ることを選ばなかったのか不思議です。
パリで出会った日本人男性からのプロポーズを受け、すぐに東京に戻りました。80年代初めは、女性がクリスマスケーキに例えられ「24歳(24日)までに結婚をしなければ」と言われていた時代で、あのままパリで独身でいることを恐れていたのかもしれません。
東京に戻ってからは、地方の古い考え方の姑の言動に驚いたりショックを受けたりの毎日で、子育てをしながら自分がどんどん潰されていくように感じていました。
その中で何とか自立して自分らしく生きたいと思い、フランス語を勉強し、娘が小学校に入学した時から自分もフランス系銀行で働き始めました。
しかし、3年半後には配偶者がロンドンに転勤することになり、今度は家族でロンドンに移り住みました。
暫く離れていた英語の世界で、子育てをしながら、主婦としても忙しく過ごしていましたが、何か自分自身のためになることをしたいと思い大学院に進学することを決めました。
それも、純粋に勉強したいというよりは、大した仕事の経験もなく、何の資格もないまま日本に戻ることを恐れていたからだと思います。
その後帰国してからは、語学系の出版社や某国大使館で留学アドバイザーとして働き、また海外のある学校連盟の日本事務局を立ち上げて仕事を続けてきました。
今、自分の20代から50代半ばまでの人生を振り返ってみると、いつも自分が何かをしたいと望んだからではなく、心の奥底にある「恐れ」から行動してきたことに気づかされます。
表面的に見ると、パリやロンドンに住んでいたり、結婚して子供を育てながらも大学院で学位を取ったり仕事を続けてきたりと、人からは自由で幸せそうに見えることにもずっと違和感を抱いてきました。
それは、自分が心から楽しみながら行動していたわけではなく、いつも「将来のために、あるいは家族のために、今はこれをしなければいけない」という気持ちで行動してきたから、心が満たされたことがなかったのです。
30代の頃から心理学や精神世界の勉強をしたり、仏教の本を読んだりしながら、自分の心と向き合うことで、何故現実はいつも厳しく自分の心は苦しいのか、その答えを探してきました。最近では、ヒプノセラピストやNLPプロコーチの資格も取って、様々な方法を試してきました。
そして、2022年より「覚醒のヨーガ」の著者、畠山桂子氏のヨーガ専門教室に通い始め、一気に目の前の霧が晴れたように宇宙の理が見えてきたような気がします。
この智慧を皆さんとシェアしながら、人間として生まれてきたことに感謝し、光と喜びに満ちた人生を共に歩んでいけたら幸せです。