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「君の話」 三秋縋 

端書き

 良い作品に出会って、ありがとうと感謝を述べられる人がいる。私はすごいなと素直に尊敬する。そういった具合には上手く気持ちに整理をつけ切れない。少なくとも私の場合は。

 失くしていたものを、探していたものを、欲しかったものを。見つけてくれて、教えてくれて、渡してくれて、私にくれて。ありがとう、と言えるのはとても大切で、そしてとても罪深いことだと思う。

 ありがとうと言って、あなたの視線は目の前の相手を離れ、感動の行き着く先として対象化されてしまった「それ」に向いてしまうのだから。それが私の言う、気持ちの整理なのだ。つまりはテキストを離れ読者側の話を始めるということだ。


 一人の書き手として、作品を作る側として、同じ作者の気持ちを大事にしたいと思う。小説を読むときには、主人公にとっての意味よりも作者がその展開を選んだ意味を考えてしまうし、映画を観るときも演者の台本に書き込まれたであろうメモ書きについつい思いを馳せてしまう。

 だから、私の場合、良い作品に出会うと、挨拶でも交わすような心持で書いてしまう。そして、あとから読み返したときにそこに顕れる「作品」の欠片が、私には旧い記憶の中の香りのように感じられて、懐かしくて堪らない気持ちになるのだ。それが済んでようやく、私は「作品」を自分の知っているものとして語れる。

 だから今書いているこれも、自分のものにするための挨拶のようなものだから、それくらいの気構えで書いたものと思って読んでほしい。


三秋縋「君の話」

基本情報

 「君の話」 
著者:  三秋 縋
発行者: 早川 浩  発行所: 早川書房
装幀:  鈴木久美  装画:  紺野真弓
二〇一八年七月二十五日 発行
書き下ろし作品

 二十歳の夏、僕は一度も出会ったことのない女の子と再会した。架空の青春時代、架空の夏、架空の幼馴染。夏凪灯花は記憶改変技術によって僕の脳に植えつけられた〈義憶〉の中だけの存在であり、実在しない人物のはずだった。「君は、色んなことを忘れてるんだよ」と彼女は寂しげに笑う。「でもね、それは多分、忘れる必要があったからなの」
 これは恋の話だ。その恋は、出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた。

単行本「君の話」裏表紙より 

私と「君の話」

 去年の夏ごろだったように記憶している。初めて手に取り、本を開き、最初の一文を読んだのは、ある人のおかげだった。ここでは単にある人とだけ書いておく。その人が三秋さんを教えてくれた。興味をもって二番目に手に取ったのが「君の話」だった。

 最初の一文は「一度も会ったことのない幼馴染がいる。」だ。気づかないうちに完璧だと口にした。そのあとで声を出さないように抑えて笑いながら先を越されてしまったなと思った。ずっと書きたかったことを僕がアイデアにすら言語化できないでいるうちに三秋さんは書ききってしまっていた。

 内容も、悔しいとすら思わないほどに素晴らしかった。一つ一つの言葉が懐かしく新鮮で鮮明で夏の思い出のような色をしていた。共感覚みたいに一文ごとにはっきりとしたイメージが浮かんできた。そして何よりも、綺麗だった。


私にとっての「君の話」

 現代の、と言うよりも今世間にある小説の、主人公像は非常に人間らしい側面を持った、正義感の強くしかし一方で行動に移すまでに人一倍努力を要する、そんなどこにでもいる人と括ってしまえるのでは、とふと思う。

 仮にそれを認めると、「君の話」の主人公は、現代とは少し違うところにいるかもしれない。それはどこか、ここではないどこかへと向かう最中にある今よりも苦しいところで、もっと孤独で痛くて脆くて懐かしい、そんな場所だ。そこでは誰もが夏休みのころの少年みたいに、日焼けした後の柔い心を必死に護っている。

 私にとっての「君の話」は知らない誰かの思い出でしかないけれど、忘れてしまった記憶の代わりをしてくれるような、まさに「一度も会ったことのない幼馴染」のような存在だ。


現実と芸術の境

 「君の話」に限らず、作品の受け取り方は解釈の数と同じように無数に存在しているものだと、考えているから今ここで私がしたことは、私の受け取り方を書いたという以上にも以下にも意味も価値もないことは断っておきたい。

 現実は触れない。私たちは現実に意識の面で遅れている。それは取り返しようのない「ずれ」だ。現実というのも結局は極端な一つの軸の端っこでしかなくて、その反対に何があるかと言われればそれはまた別の世界だ。それを私は芸術と充てる。

 芸術の考え方は、基本的には「リンゴが青く見えたら青く描いていい」というものだ。話を広げすぎてもいけないので、文学に限って書こうと思う。

 文学における芸術は、作者の嘘だ。

 しかし、それは表現としての嘘だ。表現のための嘘だ。作者は自身の表現のために選択をしなければならない。どんな発想が、技法が、語彙が、展開が、景色が、求めるものに必要か、真剣に悩まなければいけない。

 だから「君の話」で三秋さんのした選択の結果を読んで、私は良い作品だと思った。この作品は綺麗だった。


雪屋双喜として

 挨拶をされたら返すのが当たり前だが、何分気ままな性格なもので、こちらからの挨拶が随分と遅くなったと思うが、悪しからず。今回は詩にします。最後に読んでいってください。

 


夢の話

目を覚ます。自分に気付く。
立ち上がって顔を洗う。
カーテンの向こうで世界が音を立て始める。
インスタントコーヒーを少し飲み、思い出したように君に言う。

目を覚ます。君を見つける。
囁きながら微笑みを返す。

夢の話をしよう。
今日見た夢、明日見る夢。
他人に聞かれてもしょうがないもの。


いつか大きな絵を描きたい。
君が納まるように。
背景を白で飛ばして、君は描かなくてもそこにいる。

今日はふたりで過ごしたい。
君だけを想うように。
そっと重ねた思い出を確めあう。部屋に転がった洋画のフィルム。
一番上の本棚に手が届く。

見たことのない場所へ行きたい。
考えたこともない偶然を抱きしめたい。
よろめく時間を写真にしたい。
まだ誰も知らない君を見たい。

叶うなら世界平和よりも今日の夢をもう一度と願ってしまうだろう。
好きの対極にいる誰かのためには祈れない。
壁の地図。丸い地球。花瓶の中の花びら。布団のわきの丸まった靴下。

伸ばした指先は世界に遅れて何かに触れる。
その何かを今の私は知りたくない。


夢の話をしよう。
もうどうでもいいと投げ出す前に。
たった三か月でも大切に想った君の話。

目を覚ます。気が付く。

2022.10.14
夢の話 雪屋双喜
この気持ちもいつかは忘れる


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