見出し画像

【まいっか生活】期待を手放すことで見えるもの


この1年、私の身体は思っている以上に疲弊していることに気づいた。
6月には股関節を痛め、整体に通いながらリハビリを続けた。
痛みは完全には消えていないものの、日々の運動の積み重ねの大切さを実感し、2ヵ月でリハビリを卒業した。

しかし、リハビリ卒業からから1ヵ月半が経った頃、今度はギックリ腰を発症。
その時の痛みは言葉にできないほど激しく、動くことができず、やりたいことがたくさんあるのに、体が思うように動かない辛さを味わった。
あまりの痛さに耐えかねて、2時間ほどリビングの床に寝転がり、自分の携帯がどこにあるのかさえ思い出せず、痛みをこたえながら床を這って、ようやくソファーにたどりく。
腰に響く痛みを何とか抑えながら、ソファーをのぞき込んだが、携帯は見当たらない。
どうしても必要だった携帯は、最終的に作業部屋の机の上で発見した。
そこまでの過程は、朦朧ちした記憶の中にある。

とりあえず夫にギックリ腰になったことを報告し、夕食を買ってきてもらわないといけないかもしれないとメールで伝えた。
このような状況であっても、私は自分のことはできる限り自分でやりたいという思いがある。




その一方で、あるコミュニティの中で最近気遣いのある言葉をもらうことがあった。
些細な言葉だったが、その一言に少し期待を込めて行動してみたのだ。
「この関係が、これから少し変わるかもしれない」という淡い期待を抱いた、そして自分の気持ちを伝えてみようと思い切って行動に移してみた。

すると、物事が少し動き始めたように感じ、「もう一歩進めば」と思い、もうひと押ししてみることに。

ここから先は

1,619字
この記事のみ ¥ 350

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?