子どもの頃の写真で、亡き家族に会う。

先週、祖父の葬式があった。肺がんを患ったが、抗がん剤治療をしなかった。髪は抜けなかったがどんどん弱っていき、亡くなる直前は氷しか食べられない状態に。棺に入った祖父の姿は、別人のようにやせ細ってしまった。

亡くなる前、祖父の娘だった母は、お見舞いに私や妹の幼少期の写真を持ち込んでいたらしい。祖父が入院していた病院では、コロナ対策で二親等(孫など)のお見舞いが禁止されていた。母は「せめて昔の孫の写真だけでも」と思ったのだろう。葬儀を終えて実家へ帰ると、リビングに10冊超のアルバムが無造作に積み重なっていた。

役目を終えたアルバムを手に取り、なにげなくページをめくってみた。天使のようにかわいいわたしや妹の子どもの頃の写真がズラリと並ぶ。その中に祖父がうつる写真がいくつもあった。幼いわたしや妹を抱っこしたり、膝にのせたり、一緒に旅行したり……。背が高くスリムな体形だった祖父は、とても当時60代にはみえない。祖父はもう骨壺におさまるサイズになってしまったけど。写真には、わたしがよく知るおじいちゃんの姿がちゃんと写ってた。

今まで思い出の写真といえば、幼少期のかわいい自分を見るためのアイテムだった。誰でもそうだろうが、昔の自分は驚くほどかわいく見える。まるっこくて目がパッチリしていて、コスプレ衣装だってよく似合う。3個下の妹と映る写真は悪魔的なかわいさで、結婚式のプロフィールムービーは幼少期の写真だけ見せたいと思うほどだった。あれから20年以上、わたしは随分「かわいい」から遠ざかってしまったけれど……。昔のアルバムを開くと、かつて可愛かった自分を見て「大人になってしまったんだ」と切なくなるものだった。

でも大人になると、幼少期の写真は亡き家族を懐かしむものとなりつつある。思い出の写真には、亡くなってしまった家族の笑顔が鮮明に残っている。つい先週亡くなった祖父。そして、数年前に亡くなった父もいる。父も死因はガンだった。祖父同様に、かなり痩せた状態で亡くなって骨となった。でも思い出の写真には、慣れ親しんだ父の笑顔が残されている。あの頃はたしかに、祖父も父もみんな生きていたんだなぁ。。。今までは、写真にいる家族はそこまで見てこなかった。でもだんだん亡くなる家族が増え、もう会えない家族たちに会うため、写真を見るようになってきた。

歳をとると、思い出の写真をみて感じる気持ちって変わっていくのだろう。30代、40代と歳を重ねたり、もし子どもができたりしたら、また違った見方ができるんだろうか。。。?

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