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編集者に転職して1年経ったら、竈門炭治郎になった

編集者になって1年3か月、自分が竈門炭治郎みたいだなと思うようになった。

わたしは自分の企画や原稿に、かなり自信を持っている。自分の原稿を読み、8割くらいは「すばらしい原稿を書き上げてしまった。。」と本気で思うほどだ。文章はわかりやすく、取材で得た情報をきちんと反映し、クライアントの要望もきちんとおさえている。何度か読み直しても、おもしろい。悪くない、というか良い。結構良い。職場の先輩たちには到底及ばないが、「新人の割にはよくできている」といわれるレベルに思えてならない。 

先週、先輩に原稿チェックをお願いすると、自信はあっけなく打ち砕かれた。想像の5倍は赤字を入れられたのだ。原稿の内容は間違ってはいないけど、話の流れからみて必要な場面が書けていない。一人称の記事なのに文体に抑揚がない。記事のターゲットに届くよう、検索されそうなワードをタイトルに入れたほうがいい、などなど。先輩からの指摘はどれも納得できるものだった。あれほど完ぺきにみえた原稿も、改めてみると粗だらけ。なぜこれが完璧に見えてしまったんだろう?  「結構良い」など程遠く、「悪くない」レベルでもなかった。。

編集者になれば、できることがどんどん増えるものだと思っていた。確かに、入社当初よりはできる仕事がふえた。でもそれ以上に、できないことの方がどんどん増えてくる。仕事をするほど、未熟な自分があぶりだされる。先輩たちは、思ったより遠い場所にいる。もちろん入社当時よりはマシになっている。だけど想像していたような手ごたえはない、というのが正直な感想だ。

こんなとき、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎を思い出す。

悔しいなぁ 何か一つできるようになっても またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ 

すごい人はもっとずっと先の所で戦っているのに 俺はまだそこに行けない 

こんな所でつまずいているような俺は 俺は…

必死で修行した炭治郎が、強力な敵に全く歯が立たなかったときのセリフだ。

マンガを読み返したとき「まさに私と同じではないか」と思った。やればやるほど、大きな壁が立ち塞がる。ずっと先で活躍している人と比べて、自分はずっと立ち往生している気がする。自信ややる気があっても、実力がついてこない。漫画を読んだ当時は何とも感じなかったけど、今なら炭治郎の抱えるもどかしさがすっごく分かる。

ただ「やればやるほど大きな壁がある」状態は、決して悪いわけではない。壁にぶち当たるのは、自分の無力さを知ったからこそだ。自分の実力を知らなければ「何がわからないのか分からない」状態で、一向に成長できないはずだ。編集者として働く決断をしていなければ、ずっと自信満々で未熟な原稿を書いていただろう。自分の実力を知らないまま仕事をするより、いまの状態のほうがよっぽどましなのだ。

とはいえ、自分の実力不足を知るのはやっぱり嫌だ。つい先週末も、渾身の企画案がボツになったばかり。ほぼ同時期に入社した人の企画は採用されていたのもあり、割と落ち込んだ。でも、いまのわたしは炭治郎なのだ。とにかく「知らないよりマシ」と思い込み、頑張っていくしかない。

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