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私の文章は「作品」だ。

前回書いたこちらの記事。

「ことばの定義を考えよう」という企画に参加したものだったのですが、企画者のひでさんが、twitterとstand.fmで私の記事を紹介してくださいました。

自分の記事をどなたかが紹介してくださるのは初めて。twitterではさらに別の方の感想も拝見しました。stand.fmでは時間を割いて丁寧に紹介していただきました。共感の言葉をいただけて、心が温かくなりました。

そしてなにより、私が書いたものを一つの「作品」として大事に扱ってくださっていることが、本当にありがたく、嬉しかったのです。


私は普段、自分がnoteに書いたもののことを「記事」とか「文章」と呼びます。「作品」とは言いません。たまに詩らしきものも書きますがそれも含め、私の書くものは外から見たら「日記」か「自分語り」に分類されるのだろうなと思っていて。なんとなく「作品」とは言いづらいです。

ただ、たとえ「日記」や「自分語り」の枠から出ないものであっても、書けたものに対して愛着を持ったり、別の感情が湧いたりします。書けたものごとにさまざまに抱くその思いは、世間一般に言う「作品」に対して作者が抱く思いと似ている、あるいは同じかもしれません。


以前書いた詩のようなものをひとつ紹介させてください。

「隠れ蓑のなかで」。要は「昔から周りが騒がしい場所の方がむしろ集中できていたな」という内容なのですが、掘り下げつつ詩っぽくしてみました。

思いつきでささっと書いたもので、とくに深い思いなどなかったはずなのに、なぜか読み返すと愛おしさのようなものが湧いてくるのです。

うまく書けた、という話ではなく、なんだか昔の自分を抱きしめてあげたくなるような気持ちになるというか。書いた内容のことは、悩んでいたとかいう訳ではないですが長年自分の内にあった思いではありました。それを詩の形で昇華できたことが、自分にとって意味のあることだったのかもしれません。

思いがけず他の記事にはない思いが湧いたこの記事は、自分の中で「作品」と呼びたいもののひとつです。


心の内にあるものが「作品」となり、心を癒やす。
心の内にあるものが「作品」としてだれかに届き、心を満たす。

最近の私に起きたことが、noteの世界では毎日無数に起きているのでしょう。

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