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真夏に濡れた白いシャツのような青春ではなかったけれど【#思い出の曲】

自分には青春らしい青春はなかった、と思っている。

中学時代、まるで入学式の緊張がそのまま卒業まで続いたかのように自分を出すことができなかった。変わっていく己の心と体を受け入れることができず、どうふるまっていいかわからないまま三年間が過ぎた。

高校に入り、多少は居心地良く学校生活を送ることができるようになった。楽しく過ごせたので後悔はない。ただ、部活にすべてを捧げた訳でもなく、生涯の友との出会いがあった訳でもなく、全力で遊び尽くした記憶もなく。やはり、特に人生の財産と言える時間ではなかったと思う。

その頃の自分が夢中だったものといえば、思い浮かぶものはただ一つしかない。


当時聴き始めたラジオの音楽番組で、徳永英明さんの曲に出会った。大ヒット曲「夢を信じて」や「壊れかけのRadio」の直後ぐらいの時期。「LOVE IS ALL」、「恋の行方」、「I LOVE YOU」・・・メロディーも歌詞も声も好みで、こんな魅力的な曲が世の中にあるのかと思った。

その後リリースされた「もう一度あの日のように」で完全にのめり込んだ。この曲は特に歌詞が好きで、ステレオの前に正座して聴き入った。

現在(いま)君は夢を僕に言えるか
あの日と同じ瞳のままで
どこかでどこかで憧れだけを抱いて
大人の大人の慰めだけを待って
流れてないか もう流されないで

AH 培(つちか)った夢は 真夏に濡れた白いシャツのように
緑の風を受けて輝いていた
もう一度あの日のように

「あの日」を振り返り「現在」の自分に問いかける歌。この詞に心から共感できるには年齢も人生経験も足りていないのだろう、と頭の片隅で思いながら、それでも聴くたびに泣きそうになるほど揺さぶられた。

この曲は当時の自分には徳永ワールドの完成形のように思えた。最後にこのような名曲を世に残して、徳永さんは引退してしまうのではないか。そんな心配さえした。それほどの神々しさを感じていた。

曇り空のような私の青春に差し込む一筋の光のような曲。もしくは私の青春そのものと言ってもいい曲。

真夏に濡れた白いシャツのように輝いてはいなかったけれど、部屋でひとり食い入るように聴いていた私は、確かに「青春」していた。


「この曲が好きだったことを何十年後かに懐かしく思い出したりするのかな」。当時、そんなことをぼんやり考えた記憶がある。あれから四半世紀以上が過ぎた。

何十年間ずっと、この曲は大切で特別な曲だったよ。

何十年後かの私も、この曲を聴くたびに心揺さぶられているよ。



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