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スポットライトが照らさない場所

贔屓クラブの優勝に際し、さまざまな媒体で特集されているのを目にする。

同じような内容のものであっても何度見ても自然と頬が緩む、幸せな時間だ。

それらの特集でいろいろな選手やシーンが取り上げられているのを見ながら、読みながら、フォーカスされている対象ではないところにも思いを馳せる。

もっとこの優勝に絡みたかったであろうあの選手。今どんな気持ちでいるのだろうか、とか。

貢献度は低くないと思うのだけれど、ライトが向きにくいように感じるあの選手。取り上げられているのをもっと見たいな、とか。

インタビューや手記も多く目にしたけれど、もっともっとたくさんの選手の言葉に触れたいと思う。


普段から、スポットライトに照らされている人のことよりも、見えないけれどそのすぐそばにいるであろう人たちの思いや努力に関心が向きがちな気がする。

自分がスポットライトの中にいることがほとんどない人生だから、影に隠れている部分の方が共感しやすいかのもしれない。まあ、単に私がひねくれているというのもありそうだけれど。


私自身のことを言うと、ごくわずかにあるスポットライトを当ててもらった記憶を振り返れば、決して嬉しいだけのものではなかった。

光の中にいる者のふるまい方がわからない。なにより、注目されるのは恥ずかしい。もちろん嬉しくて誇らしくて貴重な経験だったのだけれど、居心地は良くはなかった。

だから、脚光を浴びている人に羨望を抱かないわけではないけれど、影にいる方が気楽だし自分らしいと思っている。


ただそれは、だれからも見向きもされなくていいということではない。

影にいる自分にだれかが関心を寄せてくれたなら。表に出ることのない私の努力や感情に思いを寄せてくれたなら。この上なく嬉しいに決まっている。

多くの人に注目されなくていい。スポットライトでなくていいのだ。だれかが見ていてくれて、ささやかな光で照らしてくれたなら幸せだ。


そして私も、だれかのことをささやかな光で照らす人になりたいと思う。身近な相手であれば、がんばっているのを知っているよ、見ていたよ、とも伝えたい。

だから、やっぱり。私はこれからもきっと、スポットライトを浴びることのない努力や感情に思いを寄せ続ける。


冒頭のサッカークラブの話に戻ると、各媒体の優勝特集を見たり読んだりしていて、本当に素敵だと思うことがある。

スポットライトを浴びて話す選手たちの言葉の中で「試合に出ている選手も出ていない選手も・・・」という表現に幾度も出会うのだ。ひとりの選手だけの発言ではない。

取り上げられる機会が決して多くない仲間のことも、光の中に入れてくれる。それが彼らにとって当たり前のことのように、ごく自然に。

このクラブのそういうところが私は大好きだ。

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