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比べてしまう自分も受け入れる

「人と関わって伸びていってほしい」
我が子にそう願う。
では私は?

先日書いたこの記事。

発達に遅れがある息子の就学相談での話です。「人と関わって伸びていくお子さんという印象を受けました」という所見をいただいたことを書きました。

素敵なマガジンに加えていただき、たくさんの方に読んでいただけたようで嬉しく思っています。

https://note.com/shippaihauruhodo/m/m5a6d27b618cc


この記事はとても前向きな気持ちで書きました。ただ、その前向きな気持ちはなかなか持続せず。実際の私は、浮いたり沈んだりを日々繰り返しています。


息子と同学年の健常のお子さんに会うと、同い年でこんなことができるのか!と固まってしまうことがあります。「あちら側の世界」のきらびやかさに目がくらんでしまうような感覚。そして、心に小さな痛みをおぼえることもあります。

発達が遅い子の親を数年やってきて、諦める力はそれなりに会得したつもりです。でも、だからといって傷つかないわけではなくて。

「あちら側の世界」と呼んでいるものも、私がそう見えているだけの虚構の世界だと、頭では理解しています。なのに心が勝手に境界線を引いて、あちらとこちらを比較して。

息子には「人と関わって伸びていってほしい」と願っているのに、私自身が人と関わることから逃げたくなります。


この心の痛みは、これからずっと付き合っていかなければいけないものだと思っています。子どもの年齢が上がるにつれ、健常のお子さんとの違いも顕著になって、今よりもっと辛い思いをすることも十分ありえそう。

比べる自分、傷つく自分を責めるのではなく。

比べないように、傷つかないように努力するのでもなく。

比べる自分、傷つく自分を「まあそうなるよね」と受け入れながら、ときには宥め甘やかしながら、なんとか逃げずに過ごしていく、というのが落としどころなのかな。

と、今は思っています。


伸びていく息子を見上げながら低空飛行でついて行けたら、きっとそれで合格です。


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